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義士の表情に安堵した泉岳寺 論説副委員長・佐々木類

産経ニュース
大石内蔵助の墓前で知られざる義士のエピソードを語る泉岳寺の監寺、牟田賢明師=19日、東京・高輪の泉岳寺
大石内蔵助の墓前で知られざる義士のエピソードを語る泉岳寺の監寺、牟田賢明師=19日、東京・高輪の泉岳寺

討ち入りを果たした四十七士を描くのが講談で、逃げちゃった残りの藩士が世間に後ろ指をさされながら、どう生きていくかを描くのが落語なのだ、という。

立川談志師匠の言である。赤穂藩の筆頭家老、大石内蔵助(くらのすけ)の墓前でそんなことを思い出した。

赤穂浪士が東京・両国近くの旧名、本所松坂の吉良上野介(きら・こうずけのすけ)邸に討ち入ったのは元禄15年12月14日だが、新暦だと今の時期になる。義士祭が行われた昨年12月にもお参りしたのだが、雪もなく、何となく暖かい。より忠実に季節を体感したいと思い、今月19日、改めて東京・高輪の泉岳寺(せんがくじ)を訪れた。

「出会いと別れ」を基調とする赤穂義士伝は、講談だけで200もの演目があるという。だが、彼らがどのような形で埋葬されたのかは案外知られていない。歴史に埋もれた事実をもっと知りたいと思い、泉岳寺の監寺(かんす)、牟田賢明(むた・けんみょう)師(54)に時間をいただいた。

内蔵助の墓前で、牟田師に四十七士の首はどうなったのかを聞くと、胴体と一緒に埋葬されたのだという。介錯(かいしゃく)後、亡骸(なきがら)の両足を曲げて両腕で抱える形で座らせ、お腹(なか)と両太腿(ふともも)の間に首を置き、桶(おけ)の形をした棺(ひつぎ)に納めたのだと実演しながら教えてくれた。

それを聞いて安堵(あんど)した。本懐を遂げた義士たちの安らかな表情が目に浮かんだからだ。一方、地元三河の国(現愛知県の一部)では名君ともうたわれた上野介の首は、泉岳寺の2人の僧が吉良邸に返し、医師が首と胴を縫合し菩提(ぼだい)寺に手厚く葬られたという。

後世、浅野内匠頭の短気をなじる向きも後を絶たないが、当時の徳川幕府は、松の廊下の刃傷沙汰についてどうみていたのか。

国立国会図書館所蔵の徳川幕府編纂(へんさん)の「常憲院殿御実紀(じょうけんいんどのごじっき)巻43(元禄14年3月)」によると、賄賂(わいろ)を貪(むさぼ)る吉良上野介に対し、浅野内匠頭がこれを拒否し逆恨みした吉良がたびたび陰湿な嫌がらせをして内匠頭の恨みを買った、とある。

当時、二十歳前の青年だった後の8代将軍吉宗にまつわる「紀州政事鏡(きしゅうせいじかがみ)」(国立国会図書館所蔵)では、吉良の嫌がらせは耐え難く、浅野がこれを斬るのは武門の道と肯定し、四十七士を切腹させた5代将軍綱吉の判断については大間違いだったと断じている。

牟田師は「参拝者には、正しいと信じたことを行動に移す、義に生きた四十七士の思いを感じ取ってほしい」と語った。

大石内蔵助の墓前で義士の埋葬方法を実演する泉岳寺の監寺、牟田賢明師=19日、東京・高輪の泉岳寺
大石内蔵助の墓前で知られざる義士のエピソードを語る泉岳寺の監寺、牟田賢明師=2023年1月19日、東京・高輪の泉岳寺
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