「44」→「60」門田さん、背番号にも本塁打への思い

産経ニュース
南海最後のシーズンとなった1988年は60番をつけた門田さん=1988年8月、大阪球場
南海最後のシーズンとなった1988年は60番をつけた門田さん=1988年8月、大阪球場

24日、74歳で死去したことが分かったプロ野球往年の強打者、門田博光さん。歴代3位の567本塁打を積み重ねた23年にわたるプロ野球人生は、数々の記録とともに背番号を頻繁に変えたことでも知られる。

1970年、ドラフト2位で南海(現ソフトバンク)に入団した際に背負ったのは「27」。当時、巨人のV9に貢献した森昌彦捕手や大洋(現DeNA)のエース平松政次投手がつけており、外野手の印象はない番号だったが、この番号を79年までの10年間つける。

リーグ優勝を果たし、野村監督(左)にビールをかける門田さん(中央)=1973年10月
リーグ優勝を果たし、野村監督(左)にビールをかける門田さん(中央)=1973年10月

80年からは「44」。背番号を変えたのは前年の春季キャンプでアキレス腱を断裂したことに起因する。44本塁打を目標に「本塁打を打てば走らずに済み、足に負担がかからない」とホームランを打つことに徹する決意を込めた番号だ。このシーズン、41本塁打を放ち、初めて40本の大台に乗せた。

「44」は米大リーグで50~70年代に活躍し、755本塁打を記録したアーロンがつけたことや阪神のバース、阪急(現オリックス)のブーマーらも背負ったことで外国人選手の印象が強いが、82年まで3シーズンつけた門田さんはこの番号で81年、44発で初めてのホームランキングに輝いた。

1980年、オールスターで代打本塁打を放った門田さん。この年から背番号は「44」に=1980年7月

これ以降、門田さんの背番号の旅が始まる。83年からは「60」。プロ野球選手は好成績を収めると1桁になるなど背番号は小さくなることが多いが、門田さんの場合はどんどん大きくなった。目標だったであろう60本塁打は達成できなかったが、同年は40本を放ち、2度目の本塁打王のタイトルを獲得。そして、40歳で迎えた88年には44本塁打、125打点で2冠達成。「不惑の大砲」として社会現象にもなった。「60」は現在、西武の中村剛也内野手がつけ、長距離砲の系譜を継いでいる。

オリックスに在籍した2シーズンは「78」をつけた門田さん=1990年9月

オリックスで過ごした89、90年は監督、コーチがつけるような「78」。ダイエー(現ソフトバンク)時代の91、92年は「53」。この頃は占いなどで背番号を決めていたといわれる。

ダイエーで過ごした現役最後の2年間は「53」だった=1992年

5つの背番号をつけた門田さん。どの番号が印象深いかはファンがそれぞれ決めることだが、最もインパクトがあったのは「不惑」でつけた「60」だろうか。

  1. 【衝撃事件の核心】屈強な「佐川男子」、暴力団員すら圧倒 世にも奇妙な恐喝未遂事件の一部始終

  2. 「うめづのお好み焼き」トレンド入り!NHK朝ドラ「舞いあがれ!」悠人(横山裕)が久留美(山下美月)に渡した「最大級の感謝」

  3. 【安保法案特別委採決】辻元氏、涙声で「お願いだからやめて!」と絶叫 民主、プラカード掲げ抵抗

  4. 泉ピン子とえなりかずき共演NG 橋田寿賀子氏が怒りの暴露で…

  5. 【犯罪最前線】報酬5%、女性は裸写真も…特殊詐欺実行犯の実態