元医師の男が父親殺害の罪に問われた事件の初公判が京都地裁で12日に行われ、産経は翌日、図解を添えて詳しく伝えた。被告は別の医師とともに難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者への嘱託殺人の罪にも問われているが、その捜査のなかで父親殺害が浮上した。
NHK関西ニュースウェブは、ALSを患っていた女性の父親の「2人の被告が娘に生きるよう諭すという医師としての役割をなぜ全うしてくれなかったのか」という、遺族の重い訴えを伝えていた。
嘱託殺人と父親殺害の審理は別々だが、一連の出来事は、元医師の医療道徳や生命観について疑わざるを得ない要素を含むため、再発防止のためにも、産経が大きく報じた姿勢は評価できる。ただ、もう少し掘り下げた取材もお願いしたい。
国家資格を必要とすることもあって、医療に関しては「専門的」知識を持つ医師優位の面が強い。私自身、大阪地裁での医療裁判の傍聴や、医療過誤が疑われる患者関係者の集会に参加した経験があり、少なからぬ市民が、納得のいかない医師の対応に違和感を抱いている現状を目にしてきた。
事件にでもならない限りメディアではとりあげられず、患者をおさえこもうとする医師や病院もあると聞いた。患者本位のすばらしい医師や病院も多く存在する一方で、医療過誤があっても患者側の泣き寝入りになる危険性は高いと感じている。
2被告は安楽死に関心があったとされるが、海外で安楽死が許されているから日本でも、という単純な議論をすべきではない。命の判断は、あくまでも患者や患者と親密な関係をもつ人々を優先し、慎重になるべきだ。安楽死をすすめるようなタイプの医師と同調者で人の命を決めてしまうようなことが、あってはならないのである。
一方、初公判と同じ日、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の実験データ捏造(ねつぞう)などの研究不正で、責任者である宇宙飛行士の記者会見があり、オンラインで一部始終が流されていた。会見は専門的な内容も含むものだったが、記者たちが、説明を聞くばかりではなく、市民視点によりそい堂々と質問していた姿勢には感銘をうけた。
新型コロナ禍もあり、医療や科学など高度な理系知識を備えたジャーナリストの役割はますます高まっている。「専門家」の意見も全面的には信頼できないことがあり、ジャーナリスト側の知識がなければ追及も難しい。どんなに複雑な問題でも社会的弱者や被害者の側に立つ報道を行う。それは新聞や放送が果たす社会的な使命である。
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【プロフィル】佐伯順子
さえき・じゅんこ 昭和36年、東京都生まれ。東京大大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。専門は比較文化。著書に「『色』と『愛』の比較文化史」など。