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言葉の呪術に想像がふくらむ 「井上靖全詩集」井上靖(新潮文庫)

産経ニュース

「音信不通になってから七年になるが、実はその間に一度、私は汽車にゆられ、船にのり、その人を訪ねて行った」。井上さんの詩集『北国』の中の一編「不在」はこんな一文で始まる。が、その人の不在を知ると「私は黙って気付かれぬようにしてまた帰ってきた。神の打った終止符を、私はいつも、悲しみというよりむしろ讃歎の念をもって思い出す」と続く。

この全詩集を読んだのは四十代の頃だった。井上さんの小説が好きなので想像がふくらんだ。男性の片思いだろうか、女性は既婚者だろうか。「神の打った終止符」という印象的な表現がずっと頭に残っていた。

この全詩集にはその後の詩集『地中海』『運河』『季節』などが続き、西域への旅の印象を収めたものまで、井上さんは巻末に「詩人としての私の仕事の全部」と書いているが、そのほとんどが散文詩のような味わいだ。小説になった作品もいくつかあるように物語を思わせるものも少なくない。だから「不在」で二人が再会していたら、などとその後を妄想してしまう。

井上さんは『北国』のあとがきでこの詩集が「詩というより、非常に便利調法な詩の保存器」であり、「何らかの呪術をかければ、それぞれそこから一つの詩が生れる」と書いている。地球の歴史から人生の短さを考え、幼い日の記憶、離れて暮らすことになる父母の姿や戦中の経験を書き留め、正倉院宝物から砂漠のラクダに思いを馳せる。井上さんこそ言葉の呪術師だ。

私には冒頭の「終止符」という言葉が亡くなって四年が過ぎた夫の思い出につながった。失って初めてわかる大切なもの。詩の余韻とともにかみしめている。

大阪府寝屋川市 由井和子(85)

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