阪神大震災28年

「1つでも覚えて助かって」 生き埋め体験を語り続ける夫婦の思い

生き埋めになっていた場所を指して説明する荻野君子さん(左)と恵三さん=神戸市東灘区
生き埋めになっていた場所を指して説明する荻野君子さん(左)と恵三さん=神戸市東灘区

「1つでも覚えておいてくれたら、何かあったときに助かるかもしれない」。そんな思いを込め、阪神大震災で生き埋めとなった体験を語り続ける夫婦がいる。神戸市東灘区の荻野恵三さん(80)と君子さん(80)。倒壊した自宅の下敷きとなった2人は、何とか生きたいという懸命の行動に幸運も重なり、7時間後に助け出された。そのときの教訓を小中学生らに伝え始めて20年。子供たちが次代に受け継いでくれると信じて、語り続ける。

平成7年1月17日午前5時46分、築20年の2階建て住宅を震度7の揺れが襲った。1階の居間で寝ていた2人の上に天井が崩れ落ちてきた。

運が良かったのは、こたつで寝ていたこと。机が下半身を守り、上半身を覆っていた布団がクッション代わりとなり、けがはなかった。しかし、天井の重みでこたつの足が折れ、30センチほどの隙間に挟まれて身動きができなくなった。外の人の声やヘリコプターの音はうるさいほど聞こえるのに、「助けて」と叫ぶ声は一向に外に届かなかった。

声を出すと、ほこりが舞って口に入り、苦しさで気力が奪われていく。恵三さんは助けを呼ぼうとする君子さんを制し、「気持ちを強く持つしかない」と耐えることを選んだ。

倒壊した荻野さんの自宅。2階部分の壁をはがして中に入り、床を切って生き埋めになった2人が救助された(荻野さん提供)
倒壊した荻野さんの自宅。2階部分の壁をはがして中に入り、床を切って生き埋めになった2人が救助された(荻野さん提供)

やがてガスのにおいがしてきた。「人生、ここで終わりなのかもしれない」。死をも覚悟し始めたころ、自力で逃げ出していた息子が「お父さん、お母さん」と捜す声が聞こえた。

「助けて」。今度こそと叫んでもやはり届かない。何とか自分たちがここで生きていることを伝えなければ。一か八かの思いで、恵三さんがこたつの天板を蹴ると、「コンコン」という音が外に響いた。大工の隣人をはじめ近所の人が集まり、天井板を切って2人を救出。地震発生から7時間がたっていた。

震災の後、君子さんは恐怖心から1階で眠ることができなくなってしまった。膝が悪くなった今でも階段を上がって寝ている。

ただ、震災が残したものは悪いことばかりではない。まず、災害への備えを欠かさなくなった。2階には靴を2足と懐中電灯や簡易トイレ、常備薬などを入れた非常用持ち出し袋を置いてある。家具は倒れないよう固定し、ガラスが飛び散らないようドアや窓に、飛散防止フィルムを貼るようにした。

もう一つ、この体験を次の災害に生かしていこうと考えるようにもなった。近所では亡くなった人もおり、「私たちは運良く命をいただいた」と君子さん。「自らの経験を伝えることで誰かの役に立ちたい」と、平成15年から震災の教訓を伝える「人と防災未来センター」(神戸市)の語り部活動を始めた。

生き埋めになった経験を伝える講演を行う荻野さん夫婦(荻野さん提供)

さらに、夫婦で神戸の小中学校をはじめ、東京や九州など全国各地を回り、講演会で備えの大切さを訴えてきた。

「人の声よりも、ものの振動のほうが外に伝わります。もし生き埋めになってしまったら声を出すよりも、たたいたり蹴ったりするといいですよ」「家具止めをつけたり、ガラスの飛散防止フィルムを貼ったりしてください」

命の危機に直面した2人の話は、人々の心に響く。講演を聞いた小中学生からは、たくさんのお礼の手紙が届き、君子さんは丁寧に保管している。

中には「地震のことを伝えたい」と記されていることもある。震災から28年となる17日、神戸市の追悼行事でともされる文字は、人と人のつながりを表す「むすぶ」。それを知った君子さんは、こう願っている。「私たちの経験を聞いた人が覚えてくれて、つなげていってくれたらいいな」(弓場珠希)

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