《昨年、デビュー50周年を迎えた。半世紀を走ってきて、いまやトップランナーとして存在する。改めて思う50年とは…》
私たち歌い手は、みなさんの生活とか、時代の流れの中で生きているんです。日本の50年、みなさんの50年、私は戦争を知らない時代に生まれました。高度成長時代といわれた昭和40年代からオイルショックがあったり、バブルがあったり、はじけたり…。そして東日本大震災(平成23年)など、日本が災害というものと向き合わなければならなくなった。
いろんなことがあった50年の中で歌わせてもらったばかりでなく、ちゃんと石川さゆりの歌をみなさんが楽しみ、聞いてくださったりしながら過ごせたというのは、奇跡的にありがたく、改めて幸せなことだと思っております。
デビューしたとき、50年後の自分が、どこでどういうふうに過ごしているんだろうなんて、当時は中学生の子供でしたし、想像もしていませんでした。でも現実に365日という日々を50回近く繰り返し、こうやって今も、歌や音楽と向き合いながら過ごしていることができたんだな、と思うと不思議な気もしますね。
《NHK特別番組『うたコン スペシャル 石川さゆり50年~心おもむくままに 心躍らせたい』が放映された(昨年12月6日)》
特番を作っていただき、日本の時代とともに歌を歌ってきた自分がいると感じました。時代の記録とともに、石川もちゃんと映像に残っているんです。若い頃は夢中で歌っていたので、「こんな時代にこんな歌を歌っていたんだ」って。白い帽子でデビューしたアイドル時代や、デパートの屋上でのキャンペーンなどの映像を見て、「あ、そうそう」と自分でも不思議に振り返ることができました。時代と皆さんの中で生きてきたんだな、石川さゆりというのは、ね。
《50年の月日の流れ…。大先輩である北島三郎さんからの「人生は関所、つらいときもあるが、そこを越えれば面白いぞ」との言葉が支えになったという。御大北島は今年86歳…》
北島さんにはずっと支えていただきました。昨年12月にもテレビの収録でお会いしました。「もうこれを最後にするんだ」とおっしゃって。「ずっと元気でいてくださいね。じゃないと私たち、困るんです」とお話ししたんです。北島さんは頼れる存在、以前はそういう先輩がたくさんいらした。
(美空)ひばりさんもそうだし、島倉(千代子)さんもそうだった。もっと古い方だと〝ブルースの女王〟と呼ばれた淡谷のり子さん、ロイド眼鏡にえんび服、直立不動で歌われた東海林太郎さんともご一緒した。きっと、その辺りの方たちとご一緒した最後の世代なんですよ。
デビューした頃、芸者さんから歌手になられた市丸さん、赤坂小梅さんのような方とか『青い山脈』を歌われた藤山一郎さんもいらした。当時は子供でしたから、何かをうかがうことも考えなかった。いま思えば、いろんなことを聞けばよかったと思いますが、同じ空間にいただけでもとても貴重な経験です。
ひばりさんや島倉さんはもっと身近な大きな先輩でした。会社(日本コロムビア)も同じでしたし、デビューのときからずっとご一緒させていただき、いろんな話も聞かせていただいた。そこに(都)はるみさん、さゆりが後輩でいて、〝コロムビア4姉妹〟っていわれたんです。だから、ずっと先輩方の背中を見ながら夢中になってついていった。けど、はるみさんだって(引退して)、最近はお目にかかれない。ハッと気がつくと、私、付いていく人がいなくなってしまったんです。
でもそういう誰かにつながっていくとか、いまはそういう時代でもなくなりましたね。それも50年なのかって…。(聞き手 清水満)