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作詞家・松本隆<28> ライバルを語る 巨大な砦だった阿久悠さん

産経ニュース
平成29年ごろ
平成29年ごろ

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《歌謡曲全盛の昭和の時代から現在に至るまで、筒美京平さんをはじめとする作曲家らと組んで、後世に歌い継がれる名曲の数々を生み出してきた松本さん。作詞家としての「ライバル」は? と問うと、迷わず、阿久悠さん(平成19年8月、70歳で死去)の名前をあげた》


ライバルというか、僕が作詞家人生をスタートさせたときにはすでに、目の前にそびえたつ巨大な砦(とりで)みたいな存在でした。僕なんか到底、足元にも及ばない。特に阿久さんが作詞を手掛けていたピンク・レディーが全盛だったころは、矢も鉄砲も全部跳(は)ね返されました。難攻不落、攻略のしようがない。口をぽかんとあけて下から見上げるしかありませんでした。

僕と京平さんのコンビによる初のヒット作となった太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」は昭和50年でしたが、阿久さんの方は、46年に大ヒットした尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」あたりから黄金時代が始まっていました。


《広告代理店勤務のコピーライターだった阿久さんは41年に会社を辞め、放送作家、作詞家としての活動を本格的にスタート。日本テレビのオーディション番組「スター誕生!」(46~58年)には、番組制作のほか審査員としても出場するなど深く関わった。各芸能プロダクションの担当者がスカウトしたい出場者に札を挙げるという同番組のスタイルは阿久さんが提案したという》


「スター誕生!」というのは怪物みたいな番組で、森昌子、桜田淳子、山口百恵の「花の中三トリオ」をはじめ、岩崎宏美、ピンク・レディー、小泉今日子…と文字通り多くのスターを生み出しました。阿久さんはそういう新人の中から誰かを選んで詞を書くことができる環境にあり、うらやましく思ったものです。

僕はというと、そういうバックはゼロ。特定のテレビ局、レコード会社に深く関係することなく、まったくフラットで、一匹狼で仕事をしていました。当時のソングライターはたいていどこかに所属するか専属みたいな感じでやっていて、僕みたいな一匹狼はいなかったんじゃないでしょうか。それが、最終的にはプラスになったと思います。


《50年12月に発表された「木綿のハンカチーフ」が51年、ヒットチャートを駆けあがり、阿久さん作詞で都はるみさんの「北の宿から」とデッドヒートを繰り広げる。このあたりから潮目が変わっていく》


「北の宿から」はすごくいい曲でした。演歌で「ですます」調というのが画期的で、後世に残る名曲だと思います。その名曲と渡り合えたのですから、それはうれしかったですよ。

ここでいい勝負になり、その後、ピンク・レディーが解散し、僕が書いた寺尾聰さんの「ルビーの指環」がレコード大賞を受賞した56年には少しだけ追い越すことができたと思います。といっても、僕が勝ったというよりは、阿久さんの方が力尽きたという感じでした。10年以上も全力で走ってきたのですから、疲れてしまって当然なんです。

あれだけ売れると、けっこう自分に跳ね返ってくるんです。売れれば売れるほど、跳ね返ってくる反動もすごくて。もちろん、僕自身にもそういう反動がきました。松田聖子さんの楽曲を7年ほどやったころに。それほど過酷な世界なんです。

まさに戦場。その日その日のレコードの売上枚数やヒットチャートといった数字が出てきて、毎日、通信簿をもらうみたいな感じで、精神力がもちません。ノイローゼとか鬱病(うつびょう)を患ってしまう人もいました。そんな中、僕は比較的数字を気にしない方でしたが、阿久さんや京平さんは丹念に見ていたんじゃないでしょうか。

阿久さんのことはすごく尊敬しています。僕は勝手に、宮本武蔵と佐々木小次郎みたいな関係だと思っているんです。どっちが勝った、負けたということではなく、「名勝負」ができたんじゃないかなって。阿久さんと戦えたことを誇りに思います。(聞き手 古野英明)

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