今から41年前、昭和56年に日本人の死因の第1位となって以降、「国民病」ともいわれるようになったがん。その間、がん検診が普及、治療法や診断技術も進歩して、「不治の病」から、早期発見により「救える病」になった。今や治療と日常生活が密接に絡み合い、「不治の病」でなく、がんと長く付き合い「共生」する社会が到来しつつある。医師で、アフラック生命保険上席常務の宇都出公也氏(60)に、がん患者に寄り添う社会のあり方などについて聞いた。(松本恵司)
宇都出氏とがんとの関係は実に長い。中学時代に胃がんで、40代後半の叔母を亡くしている。さらに研修医時代に父を失った。「身近にがんがあったので、医者になるというのを確実にした」と明確な動機づけになったと明かす。実際、当時の東大医学部付属病院第一外科で胃がんなどの手術を行う専門グループに属し、癌(がん)研究所で病理学の研究にも携わっていた。
転機は平成6年。研究生活と並行し、生活費を稼ぐために週3回、アフラック生命保険(当時はアメリカンファミリー生命保険)で、がん保険などの給付金・保険金の支払い査定において臨床的な視点から助言をするアドバイザーを務めることになった。
当時はまだがんが不治の病とみられており、がん患者本人への告知はタブー視されていた。
例えば胃がんの場合、患者に分からないように入院証明書の病名には胃潰瘍(いかいよう)と書かれることがあった。宇都出氏は証明書に記載された治療法、使用した薬、入院期間などの情報を勘案し、がんと判定するなどのサポートを行った。「いろんな面でがん保険は必要なもの。先立つものがあるかないかで精神的な負担が取れるか取れないか、それは大きいのではないか」と認識を深めたという。
保険の査定に従事する中、がん患者の家族とアフラック社員との保険給付に関する電話相談のやり取りも頻繁に聞くようになった。がんであることを本人はもとより、近所や職場、親戚にも話せずに悩むという声。生活費のこと、子供への接し方について…治療に関すること以外にも、誰にも相談できない悩みや苦しみを患者の家族が抱えていることが次第に分かってきた。「そういう話は医者には分からない」と、はっとさせられたという。
相談に丁寧に根気強く、親身になって話を聞いている社員の姿勢に「献身的に寄り添う大切さ」を痛感。「医者が見ているのは一面でしかなく、われわれの知らない患者と家族の問題も勉強しないといけない。だからこそ、がんを単に病気として捉えるのではなく、状況の問題として知らないといけない」との思いが、医師から保険会社の社員への転身のきっかけになった、と話す。
現代社会では人々のライフスタイルも、悩みも、多様化している。宇都出氏は「生活と治療、暮らしと治療は一体化し不可分なものになっている」という。
治療技術が進歩すれば、それに伴い、また新たな悩みが生まれる。例えば生存率の向上は大きな成果だが、その分、がんと並走して生きる時間も長くなり、再発の心配や、仕事との両立にまつわる悩みも生まれる。
国のがん対策の基本となる「がん対策推進基本計画」では、柱の一つに「がんとの共生」を掲げている。がんになっても自分らしく生きることができる地域共生社会を実現することで、全てのがん患者とその家族らの療養生活の質を向上させることを目指している。
「患者の立場では治ることが一番。それでもそれぞれの家族には暮らしに密着した課題がいっぱいある」と宇都出氏。
「ただ、国が政策でやるといっても、行き届かないところがある。実効性のあるものにするには、民間を含めた社会全体の取り組みが必要」と話し、来年はさらにアフラックが主体となって、他企業、団体、行政機関などと連携を深め、がん患者を取り巻く社会的課題を解決する仕組みづくりに力を注ぐとした。
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