《「はっぴいえんど」のメンバーだった大滝詠一さん、細野晴臣さん、鈴木茂さんをはじめ、松本さんが「親友」と呼ぶ古くからの友人は多い。その中の一人に、シンガー・ソングライターの南佳孝さんがいる》
南佳孝との出会いは、「はっぴいえんど」解散(昭和47年)のころでした。
話せば長くなりますが、「はっぴいえんど」のマネジメントは「風都市」という事務所がやっていて、解散後も「SHOW BOAT」というレーベルを作ってメンバー全員とかかわっていました。社長を務めていた石浦信三は、僕の小学生のころからの同級生です。
その彼が解散にあたって、レーベルからデビューさせる新人を見つけてプロデュースするように、と僕たちに言いました。つまり、僕たちは解散のためのノルマを課されたわけです。
僕以外の3人は、すでにバンドを作ったり、プロデュースしたりしていました。細野さんと鈴木茂は「キャラメル・ママ」という自分のバンドがあるし、細野さんは吉田美奈子という稀有(けう)なボーカリストも抱えていました。大滝さんは伊藤銀次くんのバンド「ココナツ・バンク」をプロデュースしていて、山下達郎くん、大貫妙子さんらがいる「シュガー・ベイブ」とも関係が深かった。3人とも新人発掘には苦労しません。
そんな中、僕だけ誰もいないんです。これは困ったなと思って、友人に「誰か歌のうまい人いないかな」と相談しました。
すると、友達の友達を経由して、「南佳孝というおもしろいシンガー・ソングライターがいるけど聞いてみるか」という話が舞い込んできました。カセットテープを新宿の喫茶店で聞いてみたら、すごくよかった。すぐに彼と会って話をしてみると、彼とは同学年で、同じ東京育ち、映画や小説など影響を受けた文化も一緒でした。その後、彼が僕の家に来たりして話しているうちに、すっかり仲良くなりました。
《南さんは48年9月21日、松本さんがプロデュースしたアルバム「摩天楼のヒロイン」でデビュー。この日は、前年に解散した「はっぴいえんど」のメンバーがそれぞれプロデュースした新人をお披露目するライブイベントが都内で開かれ、南さんはここで初ステージを踏んだ。54年に発表された「モンロー・ウォーク」で注目を集め、その後も松本さんが作詞を手掛けた「スローなブギにしてくれ(I want you)」(56年)、「スタンダード・ナンバー」(59年)など多くのヒットを飛ばした。男性目線の「スタンダード・ナンバー」は、女性目線の「メイン・テーマ」として薬師丸ひろ子さんに提供されたことでも話題になった》
南佳孝とは、つい最近も彼のコンサートを見に行って会いました。長年、コンサートを見てきましたが、彼のバンドの編成はどんどんシンプルになっていっていて、この前はついに1人でやっていました。アコースティック・ギターとピアノを持ち替え、自分で演奏しながら、20曲ぐらい、1人で歌い、演奏したんです。彼にはこういうスタイルが向いていると思いました。歌がすごく際立つので。
歌唱力は年々磨きがかかり、僕の詞の陰影を大人の深みで伝えられる稀有な歌手になったと思います。アルバム曲の中にスタンダードな品格がある。「SEVENTH AVENUE SOUTH」(57年)の「Scotch and Rain」とか「DAYDREAM」(58年)の「昼下がりのテーブル」とか。ジャズのスタンダードのような品格を備えています。
彼との出会いは本当に偶然でした。新人を発掘する必要に迫られていたところにフッと現れてくれた。僕には、そんな「人を呼ぶ力」があるみたいです。気がつくと、必要とする人が目の前に立っている。歌謡曲をやりたいと思ったら筒美京平さんが目の前に立っていて…というように。運に恵まれた人生だなと思います。(聞き手 古野英明)