《亡き妹への思いを込めて書いた「君は天然色」は、盟友、大滝詠一さんのアルバム「A LONG VACATION」(愛称「ロンバケ」、昭和56年)の1曲目を飾った。「くちびるつんと尖(とが)らせて」の印象的な歌い出しのこの曲は、「別れの気配」「写真に話しかけ」「過ぎ去った過去(とき)」「もう一度そばに来て」…と、そう言われてみれば、亡くなってしまった最愛の妹のことを書いていると察することができるフレーズが並んでいる。だが、松本さんは大滝さんに、そのことは伏せていた》
大滝さんには、この曲を彼らしく明るく歌い上げてほしかったんです。だから、あえてだまっていました。
妹のことを書いた、と言えば、どうしてもそれを意識してしまうでしょう。大滝さんなら、この詞の内容を彼なりに解釈して消化し、別次元の世界を表現してくれるはず。そう思ったんです。
期待通りに、彼はシリアスにならず、底抜けに明るく歌ってくれました。
光があれば影ができる。強い光であれば、影は濃くなる。大滝さんが歌うとめちゃくちゃ明るくなるんですが、その分、深い陰影がつきます。ゴージャスで華やいだサウンドに、大滝さんのあの明るく朗らかな声が重なると、悲しいフレーズの1つ、1つが逆に際立ってくるのです。表面的にはすごく明るいのに、この世の不条理をくっきりと浮かび上がらせる。そんな深い歌に、彼は昇華させてくれました。
《この曲と同時期に書き上げた「カナリア諸島にて」も、同様に深い陰影がある。「海に向いたテラスで」「夏の影が砂浜を急ぎ足で横切る」「あの焦げだした夏に酔いしれ」とリゾート地の眩(まばゆ)いばかりの景色を描き、その中に「ぼくは自分が誰かも 忘れてしまうよ」「ぼくはぼくの岸辺で 生きていくだけ」と失った愛の大きさに呆(ぼう)然(ぜん)とし、生きることの意味を見失ってしまった男の哀愁の影を落としている》
大滝さんは、この歌も明るく歌い上げました。
この2曲以外も、そうでしたが、詞を書くにあたっては、大滝さんから「このイメージでアルバムを作りたい」と見せられた(イラストレーター、グラフィックデザイナーの)永井博さんの絵が、ずっと頭にありました。
真っ青な海、白い砂浜、白いパラソル…というリゾート地の風景です。そんな光景を思い描きながら、編み物をするみたいに言葉で光と影を操る。そうして書いた詞に、大滝さんは見事に歌で反応するんです。
ただ、大滝さんの場合、明るいといっても、カラッと乾いた明るさではないんです。乾いた明るさといえば(元「はっぴいえんど」のメンバーだった)細野晴臣さん。超ドライといえます。その細野さんに比べると、大滝さんは少しウエットで、日本的な湿り気を帯びた明るさ、という感じ。だからこそ、陰影を表現できる。大滝さんのそういうところが、僕はとても好きでした。
もちろん、細野さんのドライな魅力も大好きだし、(元「はっぴいえんど」の)鈴木茂の少年ぽさも大好き。ともに青春時代を過ごした仲間ですから。
ただ心残りは、「君は天然色」が、亡くなった妹のことを書いた歌だということを、大滝さんには伝えないまま、彼が(平成25年に)この世を去ってしまったことです。
いつかは伝えよう、伝えようと思っていたのに、それもかないません。もう時効かなと思って、こうしてぽつり、ぽつりと本当のことを話しているんですけどね。(聞き手 古野英明)