昭和51年10月23日、秋晴れの後楽園球場で〝宿命の対決〟が開幕した。
第1戦、巨人は剛腕・山口の右腕にねじ伏せられた。王の同点2ランが飛び出した六回、続く末次が右前安打したところで山口は登場した。
◇第1戦 10月23日 後楽園球場
阪急 010 030 011=6
巨人 200 002 000=4
(勝)山口1勝 〔敗〕小林1敗
(本)王①(山田)中沢①(小林)
投球練習で速球を投げ込むたびに「オオーッ」とスタンドから驚きの声があがる。速い―という印象がさらに強くなる。この時点で勝負あり。ジョンソンが2―1から三振。続く吉田も3球で三振。すべて速球。
八回に決勝点を奪われたその裏の攻撃も、張本左飛、王も速球に詰まって捕邪飛に倒れた。山口は3回⅔を2安打5奪三振の無失点。47球のうち38球が速球。
「山口にやられました。それほど速いという感じはしなかったんですが…」と長嶋監督は唇をかんだ。
実はこの敗戦の中で巨人は大きな「失策」を犯していた。それは五回の継投である。2―1と巨人リードで迎えた五回、先発堀内が先頭の大熊に右翼線二塁打。続く加藤秀を四球で歩かせて無死一、二塁となったところで、巨人ベンチは小林にスイッチした。
するとネット裏で評論家の牧野茂が「ここで堀内を代えるのは難しい選択だ。むしろ危ない」とつぶやいた。一番の理由は「巨人首脳の堀内への信頼度が相手に疑われてしまう。それは後の試合に大きく影響する」というのである。
事実、上田監督は試合後、この継投を「あの場面でホリを代えるというのは、巨人がよほど焦っているか、ホリへの信頼が薄くなっている証拠や」と言ってのけた。牧野は続けた。
「阪急がどの作戦でくるか。マルカーノにバントさせると読めば、守備のいい堀内の続投。強打すると思えば球威のある小林。巨人が小林を出したということは〝強打〟とみたのだろう」
だが、阪急ベンチはマルカーノに「バント」のサインを出した。小林のシンカーをバントするのは難しい。1、2球とファウルして送りバント失敗。追い込まれて強打するしかなくなったマルカーノはシンカーを右中間へ同点のタイムリー二塁打。
「皮肉な結末だな」。巨人の初戦黒星に、牧野の声も心なしか沈んでいた。(敬称略)