旧参道に建てられた摩尼輪塔(まにりんとう)は、旧妙楽寺の遺品です。一ノ鳥居から52番目の標石として建てられ、その最終笠塔婆ということになります。花崗岩(かこうがん)製、総高約320センチを測ります。
八角柱の塔身上部に特徴的な丸い大月輪(がちりん)面いっぱいの種子は、胎蔵界大日如来が薬研彫りで刻まれます。塔身八面を使わず一面に合わせた月輪との均整がとれた状態は、絶妙としかいえません。塔身上部には方形の笠を載せますが、薄い軒反りは月輪が大きいだけにかえって美しさがあります。頂部には、厚みのない路盤を造り出し、その上に伏鉢、請花、宝珠が載せられ、全体的な均衡を保っています。塔身正面の月輪下部に草書体で「妙覚究竟摩尼輪/乾元二(1303)年癸卯五月日立之」の紀年銘があり、鎌倉時代後期の造作です。
また石灯籠は、花崗岩製、総高約266センチを測り、後醍醐天皇寄進の伝承をもっています。全体六角形の灯籠であり、基礎側面は二区に分けて格狭間(こうざま)を彫り込み、その上端は複弁による反花が重厚です。その竿(さお)を受ける円座には蓮華の子房(れんげしぼう)を表現した丁寧な造りです。竿部は、上・下端部に各二本の節を持ち、中節三本、四方に蓮華紋を刻出した装飾があり、竿上部に銘文「元徳三(1331)年辛未/大工利弘/二月日願主敬白」があります。
中台の側面には二区の格狭間を刻み、その下端には覆輪付き請花が刻まれます。火袋六面は、一面が火口、その背面が小さい蓮弁をめぐらした円窓となります。四面には蓮華座を薄肉彫りとし、その上に線刻の月輪内に四天王の種子が薬研彫りされ、上区には二区横連子、下区は二区格狭間とします。笠部は、裏の周縁部に突帯を設けて火袋を受け、軒下に一段の棰木形とする薄い座を造り出し、角から隅木状にした三条の突帯があり、蕨手を経て笠頂部に通じています。先端の宝珠は大きく、請花には単弁蓮花の線刻がありますが後補です。(地域歴史民俗考古研究所所長 辻尾榮市)