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武士の世の名残留める海の要衝 甑島(こしきしま)列島㊤(鹿児島県薩摩川内市)

産経ニュース
トンボロと呼ばれる島と島をつなぐ砂州の上にできた里集落 里の武家屋敷通りで見られる玉石の石垣
トンボロと呼ばれる島と島をつなぐ砂州の上にできた里集落 里の武家屋敷通りで見られる玉石の石垣

薩摩半島の西方約30キロに、上(かみ)甑島、中(なか)甑島、下(しも)甑島からなる甑島列島(以下、甑島)がある。太陽が昇って沈むまでに、さまざまな表情をみせる島々は、古くから「五色島」とも呼ばれてきた。

島では8000万年前頃の地層が露頭している断崖や奇岩、巨岩などの迫力ある光景を間近に見られる。一方で、夏には、かれんなカノコユリが咲き誇り、一気に華やいだ雰囲気をまとう。

「甑島」の名前が日本史上で初めて記されたのは『続日本紀』(797年成立)で、甑隼人麻比古(こしきはやとまひこ)の名も登場する。島の観光ガイドによると、「甑隼人は朝廷に仕え、警備などの任にあたっていたのでは」と話す。

1221(承久3)年に、承久の乱で南関東の武士、小川季能(すえよし)が鎌倉方につき、戦功をあげたことで甑島を与えられる。その後、季能の子である季直(すえなお)が地頭として甑島に入ったと伝わる。小川氏は、現在の里小学校裏手の丘にあったとされる亀城を居城とし、約370年にわたって島を統治した。

江戸時代、薩摩は武士階級人口が多く、薩摩藩は各地に外城を配置して武士団を住まわせていた。外城の中心地は麓(ふもと)と呼ばれ、今も武家屋敷群が数多く残されている。甑島では、上甑島の里と下甑島の手打(てうち)が日本遺産「薩摩の武士が生きた町」の12の構成麓に名を連ね、今も武士の世の名残を留(とど)める。特に、玉石を積んだ石垣景観は見事だ。

トンボロと呼ばれる島と島をつなぐ砂州の上にできた里集落 里の武家屋敷通りで見られる玉石の石垣

上甑島の中心地となる里は、トンボロ(陸繫砂州=りくけいさす)という地形の上に集落が形成されている。北海道の函館、和歌山の串本と並ぶ日本3大トンボロの一つに数えられる。集落の西側に広がる西の浜は玉石が見られる地域の一つ。麓の人たちは、海や川で拾ってきた玉石を石垣に利用した。ふぞろいの大きさや形の玉石だが、均整のとれた外観で、先人の成し得た偉業に驚かされる。

甑島を含めた薩摩の武士の大半は半農半士といわれ、屋敷の敷地内外で田畑を耕して生計を営みつつ、武芸の鍛錬も欠かさない生活を送っていた。このため、一軒あたりの敷地が広いなどの特徴もある。

甑島は古来、海上交通の要所で、江戸時代には、異国船監視の拠点として港近くの番所では出入りする船舶の取り調べが行われていた。

令和2年に県内最長となる甑大橋が開通し、一つにつながった甑島。以前にも増して、歴史探訪の旅が堪能できそうだ。

■アクセス 鹿児島の川内港から高速船、串木野新港からフェリーがそれぞれ運航している。

■プロフィル

小林希(こばやし・のぞみ) 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は120島を巡った。


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