サッカー部追われた高校時代の1年間 前田大然、献身の母に感謝

産経ニュース
調整する日本代表の前田大然。高校時代の「空白の1年」に自分を見つめ直した=ドーハ(蔵賢斗撮影)
調整する日本代表の前田大然。高校時代の「空白の1年」に自分を見つめ直した=ドーハ(蔵賢斗撮影)

俊足と前線からの激しい守備で日本代表に貢献する前田大然(だいぜん)(25)は高校1年の冬にトラブルを起こし、サッカー部から追放された過去がある。復帰が許されるまでの孤独を支えたのが、約300キロ離れた地元・大阪に住む母の幸枝(さちえ)さん(54)だった。「僕は1人でこの舞台に立てたわけではない」。この空白の1年が、ワールドカップ(W杯)カタール大会に挑む韋駄天(いだてん)を強くし、大きく成長させた。

大阪府太子町出身。5人きょうだいの2人目として生まれ、「大自然」からとって「大然」と名付けられた。サッカーを始めたのは小学4年から。高校からは地元の大阪を離れ、強豪の山梨学院高へ進んだ。

しかし、高校1年の冬、大きな壁にぶちあたった。サッカー部の規律を乱す行為をしたとして、部活動禁止を言い渡されてしまったのだ。

山梨に呼び出された両親は、前田をサッカー部の寮から連れて帰るよう告げられた。しかし前田は「また山梨学院高のサッカー部に戻って試合に出たい」。寮で暮らすことはできないため、近くのマンションでの一人暮らしが始まった。

そこから幸枝さんの二重生活が始まった。夜行バスに乗り、長時間かけて山梨へ。到着はいつも午前7時ごろだった。週に3日程度は山梨に滞在し、食事の作り置きをするなどして前田を支えた。父の伸幸さん(58)はその間、大阪でほかのきょうだいの面倒を見ていた。

「もともとメンタルが強い子なので」と幸枝さん。高校で練習できない間、前田はジョギングなどの自主練習を続けた。朝から自主的に学校の掃除をしたり、パン店でアルバイトをしたりもしていたという。

そんな生活は前田を少しずつ変えた。ある日、幸枝さんが大阪に帰ろうとしたときのことだった。「お母ちゃん。バス乗る時間やから送っていくで」。前田はこう告げると、幸枝さんの荷物を自転車に乗せ、駅まで送っていった。「今までは自分のことしか考えなかった子が…」。幸枝さんが変化を実感した瞬間だった。

時間と労力をかけて山梨に毎週通う生活だったが、つらいと思ったことはない。「5人の子供がいたから、大然に1対1で向き合えることが楽しみでもあったし、うれしかった」(幸枝さん)

懸命にサッカーボールを追いかける少年時代の前田大然(幸枝さん提供)

処分から約1年後、サッカー部への復帰が許され、前田は寮に戻った。そこには「絶対に自分がしたいことはかなう」と励まし続けた幸枝さんの献身や、部に戻る方法をともに考えてくれた部員らの支えがあった。これを機に前田は守備での献身的なプレーが目立つようになり、攻守でのハードワークを信条とするようになった。伸幸さんも、この1年が前田のターニングポイントになったと感じている。「厳しい処分だと思っていたけれど、それがあったから今がある」

順風満帆なサッカー人生でなかったからこそ、たどり着けた舞台がある。カタールに駆け付ける両親に、さらに成長した姿を届ける。(前原彩希)

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