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元サッカー日本代表、セレッソ大阪社長森島寛晃<18> 昇格もスタートも延長Vゴール

産経ニュース
藤枝ブックス戦に勝ってJリーグ昇格をほぼ確実にし、セレッソ大阪のエミリオ監督が胴上げされた
藤枝ブックス戦に勝ってJリーグ昇格をほぼ確実にし、セレッソ大阪のエミリオ監督が胴上げされた

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《1993年末にヤンマーディーゼルサッカー部を母体としてセレッソ大阪が誕生した。後にJリーグのチェアマンとなる鬼武健二社長の下、Jリーグ入りを本格的に目指すことになった。自身は現役時代を通じ、翌94年にJリーグ昇格をほぼ確実にしたジャパンフットボールリーグ(旧JFL)の試合の思い出が、最も強く印象に残っているという》


これちょっとほんま、覚えていないからやろって言われると思うんですけど、セレッソ大阪がスタートして、10月20日に尼陸(尼崎市記念公園陸上競技場)で(藤枝)ブルックスに勝って昇格をほぼ決めたんです。それが、すごく印象に残っています。あの瞬間というのは自分の中では、これでJリーグに関われるというので、すごく大きかった。


《試合は0―0で延長戦に。(先にゴールを決めた時点で、そのチームの勝ちが決まる)Vゴールでセレッソ大阪が勝利を収めた。旧JFL優勝を手土産にセレッソ大阪は翌95年、2位の柏レイソルとともにJリーグに参戦した》


Jリーグのピッチに初めて立ったのが、古里の広島(広島広域公園陸上競技場)なんですよ。地元だったんです。そこもすごい思い入れがあって。そのときの解説を(少年時代に通っていた大河(おおこう)フットボールクラブ=FC=の先輩、木村)和司さんがしていました。この試合も延長Vゴールで勝ったんですよ。自分たちがJリーグのスタートを切れた試合。待ちに待ったステージにいくことができた。これから始まるんだという感じがありましたね。


《93年のJリーグ開幕から考えると、セレッソ大阪は2年遅れでの加入。ある意味、新参チームだったが、臆することはなかった》

93年のあの開幕の様子を見たら、そりゃみんな、ここでやりたいと思います。サッカーをしていた人で、あそこでやりたいと思わない人は多分、いないでしょう。セレッソ大阪というチームはその年にできて、(準会員の資格を持っていた)94年は自分たちの結果次第でJリーグに上がれるという戦いでした。確かに2年遅れですが、94年の段階から目標、自分たちのすることは、はっきりしていました。昇格という目標を持っていたので、あんまり遅れたというイメージはなかったですね。


《自身は94年の旧JFLで日本人トップの16得点。ベストイレブンにも選ばれた。Jリーグでの実績はまだなかったが、活躍が認められ、翌95年に初めて日本代表に選ばれた》


94年は本当に、日本人選手の中でも得点を結構取りました。まさしく(ヤンマー時代の監督だった)ネルソン(吉村=吉村大志郎)さんから常々言われていた「結果」を出していった中で、勢いが出てきました。日本代表に入るチャンスをもらえたっていうことで、ツイていたのは、ヤンマーOBの加茂(周)さんが監督をしていたというのもあります。

自分は子供のころから体もそんなに大きくなかったですし、足も速くなかった。長距離は結構、速かったんですけどね。でも短距離は遅いんです。前の方でプレーしていましたけど、快速フォワードとかじゃない。どっちかというと自分は動き出しです。「よーい」って言ってる間に動き出すタイプ。その一歩が自分の生命線でもあるんです。大河FCの浜本(敏勝)先生にも「ちっちゃい選手には、ちっちゃい選手なりに、いいところがある」と言われていました。動き出しとか、小さい選手の良さを出していくのが武器になるというのをずっと意識してやってきました。(聞き手 北川信行)

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