「カズ」ことFW三浦知良、MFラモスの二枚看板に頼りがちな日本だったが、全体のバランスを考えてテンポよくボールを回す森保が加わり、相手のマークが分散。「俺にボールをよこせ」とラモスが声を上げても、森保は動じなかった。
「それぞれの長所を伸ばす力は、選手の頃から持っていた。観察力や分析力、それを融合させる戦略的な能力があった。そして信念も。だから代表監督になり、しっかり結果を出してきた」。吉田は当時から、森保に監督の資質があると感じていた。
イラク戦は後半ロスタイムにCKから同点に追いつかれ、W杯初出場の夢は手のひらから滑り落ちた。「ドーハの悲劇を、歓喜に変えたい」。森保が監督就任後に繰り返してきたフレーズに、吉田は「素直にうれしかった」と目を細める。心は今も、相棒とともにある。
■吉田 光範(よしだ・みつのり) 1962(昭和37)年3月8日生まれ、60歳。愛知・刈谷市出身。刈谷工高から80年にヤマハ発動機入りし、天皇杯優勝などに貢献。85年に日本代表に初招集され、通算35試合2得点。95年の引退後は磐田のコーチなどを歴任。現在はヨシダサッカースクール代表。