北川信行の蹴球ノート

「正当な競争」と「繊細な気配り」…高橋コーチが語る、セレッソに根付いた小菊監督イズム

産経ニュース
コーチ陣らが見守る中、強度の高い練習を行うC大阪の選手ら=大阪市此花区(北川信行撮影)
コーチ陣らが見守る中、強度の高い練習を行うC大阪の選手ら=大阪市此花区(北川信行撮影)

小菊昭雄監督(47)率いるセレッソ大阪は2年連続でYBCルヴァン・カップ決勝の舞台に立ちながら、あと一歩のところでタイトルを手にできなかった。試合後、小菊監督は「私の力のなさで選手たちを勝たせてあげられなかった」と自らの責任を口にした上で、リベンジに向けて「私が引き出しを増やしていく。自分も選手と一緒に成長していくことに尽きる」と強調した。矢印を自身に向け、先頭に立ってチームを高みに導く決意を語った指揮官。後方からサポートするのが、今季からトップチームのコーチを務める高橋大輔さん(39)だ。

目標を見失った引退後の生活

練習で笛を吹いて指示を送るC大阪の高橋コーチ=大阪市此花区(北川信行)
練習で笛を吹いて指示を送るC大阪の高橋コーチ=大阪市此花区(北川信行)

高橋さんは福岡大学から当時J1の大分トリニータに入団。ブラジル人のペリクレス・シャムスカ監督の下で右サイドのスペシャリストとして頭角を現し、2008年のヤマザキナビスコ・カップ(現YBCルヴァン・カップ)優勝に貢献した。クラブの財政難やJ2降格を受け、10年に清武弘嗣、上本大海らとともにセレッソ大阪に移籍。11年にアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の舞台で初めて行われたガンバ大阪との「大阪ダービー」で決勝点を挙げた場面は、セレッソ大阪サポーターの間で語り草となっている。

ところが、両膝を中心に度重なるけがに悩まされ、13年1月末に契約満了。膝の手術に踏み切り、リハビリを行いながら現役復帰を目指したが、同年7月に引退を表明した。その後はセレッソ大阪でトップチームやアカデミー(育成組織)のコーチを務め、17年限りで離職。母校の福岡大学サッカー部で指導者の道を続け、昨年にフロントスタッフとしてクラブに復帰し、今季からトップチームのコーチに就任した。

「現場に戻りたいと思っていて、偶然にお話をいただきました」とコーチ就任のきっかけを話した高橋さんは、紆余(うよ)曲折のあった引退後をこう述懐する。

「30歳で引退し、昨年まで8年。本当に自分自身の目標、夢を追い続けてきたサッカー人生だったので、正直(引退後は)苦しかったですね」。将来像を描けなくなり、サッカーとの関わりを絶ち、サッカー界から離れる姿を想像した時期もあったという。

「(引退直後の)14年にこういう(トップチームコーチの)場に立たせてもらって、そこからはい上がれない自分もいました。一度、セレッソ大阪との縁を切って大学に行って…。その間に、目標って何だろうと、自分自身を見失うことが何度もありました」と高橋さん。だからこそ、小菊監督の下で選手たちが手応えをつかみ、成長していくのを手伝える仕事にやりがいを感じている。「8年間、いいも悪いも経験したことが結局、こうやってつながっています。道をつないでもらい、(指導者として生きていく)決心をさせてもらえたこの環境は、感謝しないといけませんね」と力を込める。

パワーを使わないと、選手には伝わらない

ルヴァン杯決勝で、ゴールを決めた加藤(手前)を迎えるC大阪の小菊監督=国立競技場(撮影・蔵賢斗)

昨季途中からセレッソ大阪を率いる小菊監督はプロとしての選手経験がない異色の指揮官として知られている。選手としてプレーしたのは大学時代まで。知人のツテを頼ってアルバイトのスクールコーチとしてセレッソ大阪に採用され、育成年代の指導者やスカウトを務めるなどしてステップアップしてきた。多くの指揮官にコーチとして仕え、担ってきたのが選手に寄り添い、励まし、背中を押す仕事。今は同じ役割を高橋さんが担っている。

ルヴァン杯で決勝に進出し、天皇杯全日本選手権は8強入り、J1リーグ戦でも4位(10月24日現在)につける今季の小菊監督の戦いぶりについて、高橋さんは「求める基準がどんどん高くなりました。勝ちたいし、上に行きたいし、目標を達成したいというので、監督が(最初に)考えた基準から自身がグーっと上がっていき、みんなが続いていった感じです。基準というと抽象的ですが、インテンシティー(強度)だったり、技術的なところだったり、戦術の理解だったり…。チームスポーツなので、チームに対してどういう心構えで臨んでいるかとか、そういう面でのスキは絶対に見逃さない人なんです。本当にトレーニングに100%で打ち込んでいるのか、チームのために献身的にできているのか、心技体でチームとして求める基準が上がりましたし、選手個人個人に求める基準も上がりました」と振り返る。

指揮官の選手に求める基準が上がるとともに、コーチ陣も対応を迫られた。高橋さんは「基準に追いついていない選手に対し、いろんなアプローチをして『そっちの道に行くな』とか『こっち、こっち』とか…。ずっと監督と連携を取りながらやりました。信頼されて『やりたいように引き上げてくれ』とは言われていたので、僕も真摯(しんし)に個々の選手と向き合えたと思います」と振り返る。

黙々とトレーニングメニューをこなすチームもあるが、セレッソ大阪の練習はとにかくうるさい。選手同士だけでなく、コーチ陣がひっきりなしに選手を鼓舞する声をかけるからだ。自身も人一倍、声を張り上げている高橋さんは、その特徴を「もちろん使い分けが重要だと思うのですが、選手たちを引き上げる作業をするときに、やっぱりパワーは使わないと選手には伝わらないと思います。監督は『選手への愛情』という表現をされるんですけどね」と解説した上で「本当に選手に良くなってほしいと思うのであれば、今は『一緒に行こうよ』というスタンスでやることで選手が成長しますし、そういう空気感は非常に大事にしてシーズンを送っています」と手応えを口にする。

毎日、練習の始まる約2時間前には監督とコーチ陣らスタッフが集まってミーティングを行い、メニューの意図などを共有する。どんな話し合いをしているのか尋ねると、高橋さんはこう答えた。

「(指示は)細かくなくて、全体の雰囲気とかですね。『今日は締めていくよ』とか『こういう状況だし』とか。でも、その基準もグッと上がってきましたけどね。ピリッとやるっていうのが当たり前になってきました。勝つために必要な空気感をつくれるチームになってきたと思います。まだまだ、もっともっとですけどね」

トライをしていれば、ミスじゃない

ルヴァン杯の川崎戦で監督代行を務めるC大阪の高橋コーチ=ヨドコウ桜スタジアム(撮影・甘利慈)

8月上旬、小菊監督が新型コロナウイルスの陽性判定を受け、自宅療養を余儀なくされた。復帰まで最短で10日。指揮官不在の間、高橋さんは監督代行としてルヴァン杯準々決勝の川崎フロンターレ戦2試合とJ1リーグのヴィッセル神戸戦の計3試合の指揮を執った。結果は1勝2分け。中でも、8月10日のルヴァン杯準々決勝第2戦は川崎に2点を先行されながら、後半ロスタイムに追いついてアウェーゴール数の差で勝ち上がりを決めた。

「もうそれこそ、ゾーンに入っちゃってたんですよ」という高橋さんは「いつもと同じ作業をしながら、(現場にいない)監督の存在をいかに選手に意識させるか、でした。それはもう、変えられないものですから。そこは僕自身も怖くて…。本当にいつも通りやる中で、結果を引き出せたっていう感じですね。特別なことは本当にないんですよ。常日頃からコミュニケーションをとって、いろんな役割も与えてもらったのが本当によかったなと思います。ポンポンポンとやって、試合が来て、ただそこ(ピッチサイド)に立ってるだけで」と謙遜する。

一方で、自身のキャリアを見つめ直すきっかけともなった。「振り返ったらすごく貴重な経験でしたし、いろんな意味で再確認できました。自分自身が目指したいものが何なんだっていうのが、初めて確認できたというか、そういう機会でした。うまくスタッフで分散させ、責任みたいなものを感じないつもりでいましたけど、監督は背負う必要がある。小菊さんがすごい重圧の中でやってるっていうのは、すごく感じました。監督になったら、本当にこれを全部背負わなきゃいけない。ものすごぐ重圧のあるポジションだなと感じました」と打ち明ける。

小菊監督には「もう、お前の好きなようにやったらいいから」と言われていたという。「ちょっとミスして失敗しても『全然それはミスじゃない。トライしてるからミスじゃない』と言ってもらいました。だから僕も成長できましたし、あのタイミングで臆することなくできたんです」と振り返る。

頭を変え、体を変え、パフォーマンスを変える

天皇杯の広島戦で指示を出すC大阪の小菊監督=ヨドコウ桜スタジアム(撮影・榎本雅弘)

10月22日に行われたルヴァン杯決勝。先発メンバーには、上門知樹、山中亮輔、毎熊晟矢、鈴木徳真、為田大貴、鳥海晃司らが名を連ねた。いずれもシーズン初めは控えに甘んじていた選手たちだ。

そうした選手たちはルヴァン杯の1次リーグできっかけをつかみ、リーグ戦でも出場機会を増やしていった。高橋さんは「(ルヴァン杯は)もちろん勝負にこだわった上で、最初は新しく入ってきた選手や若い選手が試合経験を積む場でした。チームとしても各選手にとっても、戦いながらいい時間を共有できました。そこで終わらせるんじゃなく、リーグ戦に向けた選手の成長と相まって、うまく回っていったんです。結果を残した選手が次にリーグ戦で先発を飾るという循環が勝ちながら回っていった。一気にチームとしての力が底上げされたポイントだったと思います」と指摘する。

さらに、夏場に入るとトレーニングの質が変わっていった。「監督、強化部を含めてみんなで話し合って『やっぱり何をまず変えなきゃいけないかってなったときに、マインドだよね』となったんです」という高橋さんはこう説明する。

「考え方が変わって、次にはもちろん体を変えなくちゃいけない。その次はパフォーマンス、ピッチ上のパフォーマンスを変えていく。その過程を段階をおってアプローチできたのはすごく大きかったです。ピッチ上でやっとけば大丈夫じゃなく、頭を変え、体を変え、パフォーマンスを変える。それが本当の力になるし、一度身についたら落ちないというか。そういう中身がなかったら、たまにいいプレーができても続かない。これを本当にクラブとしてみんなでやれました」

たとえば、うまくいかないときにどうするか。困難にぶち当たったときはどう対処するのが正しいのか。チームとしてしっかりとした線引きを行った。今季、初めてシーズン初めから指揮を執った小菊監督も「正当な競争」と「繊細な気配り」を自身が大事にしたポイントに挙げる。

その点について、高橋さんは「どういう考え方をして、どうやって上っていくかみたいなものを、もう一度声かけをしながら、なんとなくいいじゃなく、いいか悪いかをきちっと峻別し、いい選手が試合に出る。そうじゃない、足りない選手はもう一度、普段の生活から、考え方から、体から、トレーニングの取り組み方から変化しないと、ずっと入れない。そういう基準を積み上げていく中で、十数人の選手のレベルがギュッと上がったんです」と説明する。

出られない期間を過ごした選手たちについては「みんな苦しかったと思いますよ。本当に苦しい状況にまで行ったと思います。なんとなくいいじゃダメだったので。本当にはい上がってきたなという姿を監督が求めていました。監督のいろんなアプローチとか、自身のこれまでのプロセスが、そういう見方を生み出していると思います。歯を食いしばって上ってきたなっていうのを絶対に見逃さないし、上ってこないなっていうのも見逃さない。上ってきた選手はガーッて引っ張り上げる。それを僕らコーチはみんな必死に『監督が求めるところまで行け』って支えるわけです。誰1人として楽に今のポジションに立っている選手はいません。それを促す作業っていうのは、監督もすごく大変。みんないい気分でやりたいですけど、それじゃあ結果は出ないんです」と話す。

タイトルには届いていないが、熱い思いを抱く指揮官の下、戦うチームとしての核が誕生しつつある。高橋さんはセレッソ大阪に根付きつつある小菊監督イズムをこう代弁した。

「よいしょ、よいしょって上ってこないとダメなんです。監督は、1回だけいい選手をいっぱい見てこられたと思うんです。それを何回も何回も繰り返しやって、本当につかむところまで引き上げる作業をされたのが、チームとして一番価値があるのかもしれません」

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