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始まりの島で海の民に思いをはせる 淡路島㊤(兵庫県淡路市、洲本市、南あわじ市)

産経ニュース
弥生時代、100年以上鉄器作りが続いた五斗長垣内遺跡
弥生時代、100年以上鉄器作りが続いた五斗長垣内遺跡

日本最古の歴史書とされる『古事記』の冒頭に、日本列島の壮大な天地創造の物語である「国生み神話」が記されている。天と地が混沌(こんとん)としていたとき、イザナギノミコトとイザナミノミコトの二柱の神が天の浮橋に立ち、天の沼矛(ぬぼこ)で「塩こおろ、こおろ」と海原をかき混ぜると、矛先から塩の雫が落ちて、おのころ島となった。そこに降り立った二神は夫婦になり、次々と島を生んだ。

1番目に生まれた島は、「淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)」と記される現在の淡路島だ。航海の難所といわれる明石海峡、鳴門海峡、紀淡海峡に接し、瀬戸内海の東端に位置する。島内各地に神話の伝承地とされるスポットがあり、島外や海外と交流していた痕跡も多く残る。

では、「なぜ淡路島が日本で最初に生まれた島」なのか。その背景をひもといていくと、航海する技術や知識にたけ、朝鮮半島や中国大陸から先端技術や文物を島にもたらした、後に「海人(あま)」と呼ばれることになる「海の民」の姿が見えてくる。

島北部の五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡へ向かった。播磨灘が一望できる山の上にあり、風通しが良い場所だ。平成19、20年度の発掘調査で、弥生時代後期の鉄器類と23棟の竪穴建物跡が見つかった。そのうち12棟は、建物内の地面に炉の跡があり、その周辺から多数の鉄片が出土。柱を壁際に設置して空間を大きく取っていたことなどから、鉄器作りを行う鍛冶工房だと分かった。当時の畿内に先駆けて最先端の鉄加工技術を持つムラが存在したことは、世紀の大発見といわれた。

淡路市教育委員会の伊藤宏幸さんは、「出土した朝鮮半島製の板状鉄斧(てっぷ)、イイダコ壺の存在などから、海の民が朝鮮半島から鉄素材を運び、鍛冶技術も伝えたと推測できる。鉄の鏃(やじり)が最も多く出土しており、武器としても使われたはず。この時代の直後に邪馬台国の卑弥呼が登場するので、弥生社会の大変動期に海の民が活躍したはずだ」と話す。

海人が製塩する当時の様子をオブジェで表現している貴船神社遺跡

古墳時代になると海の民は海人と呼ばれ、『日本書紀』には、「淡路の海人」「野嶋の海人」などの記述がみられる。島北部の野島地区にある貴船神社遺跡では、海人が製塩していた熱効率のよい石敷炉が発見された。塩は自分たちで使うだけでなく、畿内の王権にも供給されたと考えられ、島と王権とのつながりは深かったとみられる。

「国生み神話」の冒頭にある物語は、海人の塩作りや鳴門の渦潮を想起させる。稲作が始まった弥生時代に、海の民によって金属器時代を迎え、クニという形が生まれていった歴史に重ねると、淡路島が神話で重視され、1番目に生まれた理由がはっきりしてくる。

アクセス 兵庫県側からは明石海峡大橋、徳島県側からは大鳴門橋を通って、車やバスで。また、兵庫県明石市の明石港から船でも。

プロフィル

小林希(こばやし・のぞみ) 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は120島を巡った。

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