現在の東京都内にあった千葉氏ゆかりの石浜城について、ポストカードの一種である「御城印」が発売された。山城の保全と、その活用による地域活性化を目的に活動する千葉城郭保存活用会が企画・作成した。千葉県内93城の御城印を手掛けている活用会が初めて、県外のお城を対象にしたもので、再起を目指して奮闘した武将のロマンをしのばせる。
石浜城の御城印に記された〝紹介文〟は、「水上交通の要衝 武蔵千葉氏 再起をかけた城」。武蔵国と下総国の境で、現在の隅田川沿いの水上交通の発達した地域に築かれたとされる。かつて石浜と呼ばれていたのは、現在の荒川区から台東区にかけての広大な地域。石浜城がどこにあったかは諸説あるが、現在の石浜神社(荒川区南千住)が有力候補の一つだという。
享徳の乱(1454年)に端を発した千葉一族の内紛で、当主の千葉胤直ら千葉宗家の武将は現在の多古町に逃げ込んだが、攻め滅ぼされてしまう。胤直のおいに当たる自胤は、江戸城を築いたことで有名な太田道灌の支援を受けて石浜城に入り、武蔵千葉氏として再起をはかったという。
武蔵千葉氏は、本佐倉城を拠点とした下総千葉氏と戦った。その後、武蔵千葉氏が属した北条氏は、天正18(1590)年に豊臣秀吉に攻められて滅亡。武蔵千葉家は、下総への復帰がかなわないまま没落し、石浜城も廃城となったと思われる。
石浜城の御城印は、活用会副代表で、歴史講座などの活動を行っている山城ガールむつみ(本名・宇野睦)さんがデザイン。27日に石浜神社と、観光案内や物販を行う酒々井町の施設「まるごとしすい」で販売を始めた。
活用会の小室裕一代表は、「われわれの御城印発行プロジェクトの中で初めて県外にも範囲を拡大し、千葉氏の活躍の場のお城を顕彰することで、千葉県の歴史の重厚さを全国にアピールすることができると思う」と話している。(高橋寛次)