ダルビッシュや菊池雄星らの無念晴らした 仙台育英の「白河の関越え」

産経ニュース
決勝で敗れ、甲子園の砂を持ち帰る三沢の太田幸司。2日間で27回を投げ抜いた=1969年8月
決勝で敗れ、甲子園の砂を持ち帰る三沢の太田幸司。2日間で27回を投げ抜いた=1969年8月

2022年の夏の甲子園大会は仙台育英(宮城)が東北勢初優勝を果たして幕を閉じた。春夏合わせて実に13度目の決勝進出で実現した「白河の関越え」。あと1勝にはね返され続けた歴史には、太田幸司(元近鉄など)、大越基(もとい)(元ダイエー=現ソフトバンク)、ダルビッシュ有(パドレス)、菊池雄星(ブルージェイズ)、佐藤世那(元オリックス)、吉田輝星(こうせい)(日本ハム)ら「悲運のエース」たちの姿があった。

100年「開かずの扉」

03年春の選抜大会が始まる前、出場を決めていた東北(宮城)の2年生エース、ダルビッシュに「優勝旗の白河の関越えの意識はありますか」と質問した。帰ってきた答えは「白河の関って何ですか」。ダルビッシュは大阪出身だし、選手はあまり関心はないのかなと感じたが、その後に宮城出身の若生(わこう)正広監督(当時)に同じことを聞くと「それは東北の夢。ぜひ実現させたい」。やはり大人たちにとっては白河の関越えは悲願なのだと知った。

東北の2年生エースのダルビッシュ有。夏の甲子園は決勝に進んだが、常総学院に敗れた=2003年8月(寺河内美奈撮影)
東北の2年生エースのダルビッシュ有。夏の甲子園は決勝に進んだが、常総学院に敗れた=2003年8月(寺河内美奈撮影)

今大会、仙台育英の須江航(わたる)監督が優勝インタビューで「100年開かなかった扉が開いた」と話した。東北勢が初めて決勝に駒を進めたのは実に107年前。選手権の第1回大会、1915年夏の秋田中(現秋田)で、京都二中(現鳥羽)に延長十三回、1―2でサヨナラ負けを喫した。

引き分け再試合で涙

ただ、東北勢が次に決勝進出を果たすまで54年もかかった。69年夏、戦後初の優勝旗への挑戦は、エース太田幸司を擁する三沢(青森)が松山商(愛媛)と激突。延長十八回の死闘も0-0で決着がつかず引き分け再試合となり、翌日に2―4で敗れた。

2日間で27イニングを投げ抜いた太田は端正なマスクも相まって「コーちゃんフィーバー」を巻き起こし、近鉄にドラフト1位で入団。実働13年で2桁勝利は3度。プロ通算58勝(85敗)を挙げた。

71年夏は磐城(福島)が決勝で桐蔭学園(神奈川)に0―1で惜敗した。磐城の小さな大投手といわれた田村隆寿の失点は決勝の1点のみだった。

4日連投の悲劇

仙台育英が初めて決勝に進んだのは平成初の夏の大会となった89年。エース大越基は重い球質を武器に快進撃を見せた。決勝の相手は帝京(東東京)。吉岡雄二(元巨人など)との投げ合いは0-0のまま延長戦に突入。十回表に大越は2点を失い、涙をのんだ。

現在では考えられないが、3回戦から決勝まで休養日なしの4日連続の試合。大越の右肘は悲鳴をあげていた。大越は進学した早大を中退し、92年秋のドラフト会議でダイエーに1位指名されて入団。後に野手に転向し、ガッツあふれるプレーで人気を集めた。

現在は早鞆(山口)で監督を務める大越氏。母校の快挙に「感謝の気持ちがいっぱい。東北地方の劣等感も含めて、深くて重いものがあった。そういう気持ちを晴らしてくれた」と感慨を言葉にした。

仙台育英は21世紀初の大会となった2001年春、東北勢初のセンバツ決勝を戦うも、名将、木内幸男監督率いる常総学院(茨城)に6-7で惜敗。左腕エースの芳賀崇は多彩な変化球を操る頭脳的な投球を見せたが、最後に力尽きた。

ダルも壁越えられず

ダルビッシュが決勝の舞台に立ったのは03年夏。大会ナンバーワン投手といわれた2年生エースは成長痛や腰痛に悩まされ、準々決勝、準決勝は先発を回避。常総学院との決勝は四回に3点を奪われて逆転を許し、八回にも追加点を挙げられ、2-4で敗れた。試合後、涙を流すダルビッシュと、それに寄り添う若生監督の姿が印象的だった。ダルビッシュは3年春夏にも甲子園出場。日本ハムを経て米大リーグに移籍した。

09年春決勝は菊池雄星を擁する花巻東(岩手)が清峰(長崎)と対戦。菊池と今村猛(元広島)の緊迫した投げ合いは、清峰が七回2死走者なしから四球を選ぶと、続く9番打者が決勝三塁打を放ち、決着がついた。5日間で2回戦から決勝までの4試合にすべて登板した菊池は「肘に重みがあった」と肩を落とした。

仙台育英が前回、決勝に進んだのは7年前の15年夏。エースの佐藤世那がほぼ一人で投げ抜き、小笠原慎之介(中日)、吉田凌(オリックス)が2枚看板の東海大相模(神奈川)と日本一をかけた戦いに臨んだ。試合は6-6の同点で迎えた九回、佐藤が4点を失い、決着した。

近畿、関東勢が天敵

東北勢の準優勝で最も記憶に新しいのが「金農旋風」を巻き起こした18年夏の金足農(秋田)。吉田輝星が秋田大会から甲子園決勝途中まで一人で投げ抜いた。根尾昴(あきら)(中日)、藤原恭大(きょうた)(ロッテ)らタレントがそろう大阪桐蔭との決勝は本調子とは程遠く、5回12失点と打ち込まれて大敗した。

大阪桐蔭との決勝のマウンドに立った金足農の吉田輝星。疲労で本調子には程遠く、5回12失点で降板した=2018年8月(甘利慈撮影)

11年夏、12年春夏と3季連続で甲子園決勝に駒を進めたのが光星学院(青森=現八戸学院光星)。北条史也(阪神)、田村龍弘(ロッテ)らを中心に高いチーム力を誇ったが、11年夏は日大三(西東京)、12年はエースの藤浪晋太郎(阪神)を擁する大阪桐蔭に春夏連覇を許した。

敗れ続けた過去12度の東北勢の決勝の相手を見ると、近畿勢が大阪桐蔭の3度を含む4度、東京を含む関東勢が2度の常総学院を含む6度と「天敵」だ。今大会の仙台育英の優勝は近畿、関東勢が決勝にいなかったのも大きいだろう。

酷使のない投手陣

東北勢の決勝は一人のエースが力尽きるという図式がほぼ繰り返されてきた。今大会の仙台育英は5人の投手を起用。状態の良い投手をマウンドに送ることで激戦を勝ち抜いた。最も投球回が多かったのが決勝に中3日で先発した左腕の斎藤蓉だが、14回⅔で投球数は213球。次が胴上げ投手になった高橋で12回、188球だった。残る左腕の古川、仁田、湯田は10回以下。今夏の仙台育英に「酷使」はなかった。

春夏の甲子園大会で東北勢初めての優勝を果たし、歓喜する仙台育英ナイン=8月22日、甲子園(渡辺大樹撮影)

1週間に500球の球数制限、近年の猛暑などに対応した投手陣の構築が功を奏したかたちだ。もちろん過去にもエースの先発を回避し、2番手、3番手が先発するケースもあったが、選手層が薄く、結局はエースがリリーフするという場面も多々見られた。その意味で、5投手の力が均衡していた仙台育英の投手育成は画期的で称賛に値するだろう。

実力は全国レベル

悲願を達成した東北勢だが、近年は決して力が劣っていたわけでなく、全国制覇は時間の問題だったといっても過言ではない。01年以降今夏まで、春夏の甲子園で決勝に進出したチームを地区別で見ると、東北は延べ9校。これは10校の九州、8校の東海と肩を並べ、中国の4校、四国の6校、北信越の3校より上だ。

東北のレベルアップの大きな要因はもちろん、各チーム、各県の強化策が実ったことだ。社会人や大学生選手、著名な指導者を招いての講習会などは頻繁に開かれている。

大阪や関東からの野球留学生の存在も力の底上げにつながったはず。ダルビッシュ、北條らのほか、坂本勇人(巨人)も光星学院で高校時代を過ごした。とくに関西出身の選手は周囲に影響を与えることが多く、野球に対する取り組みに変化があったとみられる。

大谷、朗希効果も

そのほか、プロ野球の楽天が宮城に誕生したのも大きい。あこがれの存在が身近にあることは、多くの野球少年の励みになったはずだ。また楽天は地域で野球教室を開くなどの取り組みを進めており、これもプラスに働いたといえる。

米大リーグで活躍する花巻東出身の大谷翔平(エンゼルス)、菊池やロッテで完全試合を達成した大船渡(岩手)出身の佐々木朗希(ろうき)の存在も東北の選手に勇気を与えていると指摘する声もある。また、これら好投手は高校時代、他校の大きな壁になったはずで、対策を練ることで各チームはレベルを上げた。打倒・大阪桐蔭を目指し、全国レベルのチームが多く存在する近畿と同じ図式だ。

仙台育英の須江監督は「100年の扉が開いた。これからいろんな学校がなだれ込んでくる。それだけの力がある」とこれからの東北の栄光を予測する。悲運のエースは過去の話だ。(鮫島敬三)

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