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女優・泉ピン子<19> 過熱する交際報道…義母に最後は親孝行

産経ニュース
医師との交際発覚で会見も行った=平成元年1月14日
医師との交際発覚で会見も行った=平成元年1月14日

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《平成元年、東京・池袋の癌(がん)研究会付属病院で勤務していた医師、武本憲重(のりしげ)さんとの交際報道が過熱していく。検査入院時の担当医と患者という出会いだった。報道陣は大分県にある武本さんの実家まで押しかけていった》


私だけならまだしも、夫と義両親たちは一般人なので、かわいそうでした。夫は旧家の生まれだったから、周囲はやっぱり普通の人と結婚してもらうつもりだったのでしょう。彼の実家は地元に広い土地を買っていて、そこに病院を建てて、開業医をさせる予定だったと聞いています。

私は九州に行って、彼のお母さんと会ったとき、3歩で町が終わるようなところでは暮らせないと思いました。ここで通い婚はできないと、結婚は無理だと、そう感じました。結婚する気は、全く無くなっていました。

だから、あの人には「誰か他の人がいるなら、その人と結婚した方がいいんじゃないの?」と言いました。私もできたら、お嫁さんが欲しいくらいでした。世の中の男性は、家に帰ったら冷房が入っていて、おしぼりが出てきて、「ご飯にしますか、お風呂にしますか」というような生活を送りたいのではないかと思っていました。だから、「私と結婚したら、そういう生活は絶対にできないよ」と話しました。でも、彼は「それでいい」と答えましたからね。


《当時のスポーツ紙には、タレントの桂小金治さん夫妻の前で三々九度を上げる〝ミニ結婚式〟が行われたと書かれている》


噓ですね。ミニだろうが何だろうが、結婚式なんてしていません。嫌だなあ、どこの記事も噓を書いていて。婚姻届だけは付き人に出してもらって、当日そのままフライトでニューヨークに旅立ちました。そのあと、ロンドン、パリ、香港などと2週間の新婚旅行を満喫して、帰ってきました。


《結婚について、「義理の両親からの全面的な賛成は得られていない」「ピン子は『どんなに時間がかかっても、分かっていただけるよう努力します』と涙をこぼした」などと、当時の週刊誌に書かれている》


そんなこともあったのでしょうか。知りませんし、覚えていません。でも、もう何十年も前ですが、夫のお父さんの葬儀の際に、お母さんから「(義実家へ)遊びにいらっしゃい」と言われていますので、その時までには、結婚を認めてもらっていたのだと思います。

その後、お母さんが入院しているときは、私か夫のどちらかが毎週末、九州へ通いました。「私が女優で良かったでしょう。ただのサラリーマンの家庭だったら、こんなに飛行機代は出せなかったわよ」なんて軽口をたたいていました。

最初は結婚に反対されていたかもしれませんが、最後は孝行もできました。悔いはありません。


《新婚旅行から帰国したとき、羽田空港には報道陣が詰めかけていた》


帰りの機内で、たまたま(俳優の)佐藤浩市さんと一緒になりましてね。「姐(ねえ)さん、何かあったんですか」と聞かれて、空港が大変なことになっているらしいと伝えると、「姐さん、守りますよ」って言ってくれました。彼、すごくいい男なんですよ。でも、「浩市は短気だから、報道陣を殴ったりしたら大変だから、放っておいて帰っていいよ」と答えて、空港での帰国会見に臨みました。

会見開催の条件は、「夫の写真を撮らないこと」でしたが、約束は守られませんでした。でも、私と結婚してしまったんだから、しようがないですよね。慣れてもらうしかないと、半ば諦めていました。(聞き手 三宅令)

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