戦後77年

「逝き損なった」元陸軍少佐 百寿超えても音訳活動

産経ニュース
「仲間の分も社会に貢献したい」と話す牧勝美さん。音訳ボランティア歴は38年目を迎えた=8日、熊本市南区(土屋宏剛撮影)
「仲間の分も社会に貢献したい」と話す牧勝美さん。音訳ボランティア歴は38年目を迎えた=8日、熊本市南区(土屋宏剛撮影)

先の大戦末期、米軍に占領された沖縄の飛行場を奪還すべく、熊本から出撃した陸軍飛行第110戦隊。元陸軍少佐の牧勝美さん(102)=熊本市=は、整備部門の責任者として重爆撃機で飛び立つ仲間を何人も見送った。自身も終戦前日、総攻撃の一員に組み入れられたが、作戦は遂行されないまま玉音放送を聞いた。「仲間の元に逝き損なった」。その思いは今も消えない。

出撃する隊員、幾度も見送り

静岡県出身の牧さんは陸軍将校の養成機関・陸軍士官学校53期。沖縄へ出撃した最精鋭の特殊部隊「義烈空挺隊」で隊長を務め、多くの隊員とともに戦死した奥山道郎大尉(1919~45年)とは同期に当たる。

第百十戦隊が使用した四式重爆撃機=熊本市南区の「火の君文化センター」
第百十戦隊が使用した四式重爆撃機=熊本市南区の「火の君文化センター」

昭和19年6月、日本海軍はマリアナ沖海戦で敗れ、翌7月にサイパン島が陥落。牧さんが配属されたのが、隈庄(くまのしょう)飛行場(熊本市)を拠点にした第110戦隊だった。沖縄周辺の米軍艦船などへの爆撃が主な任務だったという。

隊員が搭乗する四式重爆撃機「飛龍」の整備や搭乗する機関手らの指導も担当。実地訓練を積んで間もない若い隊員が出撃するのを幾度も見送った。「別れ際の悲惨さは微塵(みじん)もなく、国のためにと笑顔で飛び立っていった」と振り返る。

隊員の思いとは裏腹に、戦況は悪化の一途をたどった。第110戦隊は20年5月、同じ熊本の健軍飛行場を拠点にした義烈空挺隊とともに沖縄の米軍へ奇襲攻撃を仕掛けたが、出撃した飛龍6機のうち1機が帰還せず、義烈空挺隊は全滅した。

20年8月14日、牧さんは健軍飛行場に配属された飛行第60戦隊と合同で第170爆撃隊(仮称)を編成し、残存戦力で沖縄の米軍に総攻撃を仕掛けると上層部から告げられた。死を覚悟した。

だが翌15日正午、玉音放送が流れた。昭和天皇による激励のお言葉を聞くつもりで集まった隊員らは困惑の表情を浮かべたという。牧さんも「仲間の元に逝き損なった」と感じたが、上官に諭され、思い至った。「耐え忍ぶよりほかはない」と。

仲間の分も社会奉仕

戦後間もなく妻、光枝さん(故人)と結婚。飛行機整備の技術を買われ、29年2月に熊延鉄道(現熊本バス)に就職した。常務を経て退職後の平成9年には、隈庄飛行場跡にある「火の君文化センター」の一角に「碧空(へきくう)に祈る」と刻んだ石碑を建立した。

牧さんが配属された隈庄飛行場跡地に建てた石碑。戦友の鎮魂を願い「碧空に祈る」という言葉を刻んだ=熊本市南区

「青空に散った若い仲間の鎮魂を願うと同時に、国のために戦った英霊たちの誇りを次代に引き継ぐ礎がほしかった」

生かされた身として、長らく「祖国のため散華した仲間の分も社会に貢献したい」とも考えていた。光枝さんの勧めもあり、65歳から視覚障害者のため書籍の内容を音声化する「音訳ボランティア」を始めた。

16年に功績が認められ、緑綬褒章を受章。10年以上前、録音媒体のテープが生産終了となり引退が脳裏をよぎったが、「まだ人の役に立ちたい」とパソコンでの音訳に挑戦し、今でも1日約5時間を作業に費やす。音訳した書籍は1100冊以上に上り、ボランティア歴は38年目を迎えた。

戦後77年。日本は平和を享受している。ただロシアによるウクライナ侵攻は「冷や水を浴びせるようなできごと」と牧さん。小国のウクライナが大国ロシアに抵抗する姿は、圧倒的な物量を誇る米軍と対峙(たいじ)したかつての日本を彷彿(ほうふつ)とさせるとし、「決してひとごとではない」と語気を強める。

「日本の平和は多くの英霊が戦って得られた。後世を生きる人にもその思いを受け継いでもらいたい」。そう思っている。(土屋宏剛)

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