「気温35度で1時間、形状を保つことができるアイスクリーム」――そんな商品を、業務用食品卸の中庄本店(京都府福知山市)が発売した。同社の社員が新規事業として、2021年7月から開発に着手。22年1~2月にはクラウドファンディングで先行予約を受け付け、5月末からネット通販を開始した。どういった経緯で誕生したのだろうか。同社の管理栄養士である藤井由香さんに話を聞いた。
中庄本店が発売したのは、「ZuT(ずっと)溶けにくいアイス」だ。ジャージー牛乳を使用した「白」、ホールフルーツチョコレートの風味が豊かな「黒」、イチゴソースの香りが特徴的な「赤」を用意した。90ミリリットルのカップ6個入りを5000円(送料込み、以下同)、12個入りを8000円で販売している。その他、2リットル入りの業務用サイズなども取り扱っている。
溶けにくいアイスの仕組みを簡単に説明しよう。同商品には、金沢大学名誉教授の太田富久氏と、アイスクリームの製造・販売を手がけるFULLLIFE(東京都新宿区)が開発した「イチゴポリフェノール」が使用されている。これは、イチゴ果実から抽出されたポリフェノールを核としたものだ。このイチゴポリフェノールに、中庄本店が海藻成分を独自に配合し、アイスクリームの保形性を向上させることに成功したという。このアイスは、時間が経過するとクリーム状になり、とろっとした食感が残る。
一般的な冷えたアイスクリームは、時間が経過すると水分と脂分が分離して溶けてしまう。一方、同社の独自配合によって、水分と油分の分離を防ぎ、溶けにくくした。
品質にもこだわった
通常のアイスと比べて価格が高いのは、品質にこだわったからだ。例えば、「白」には京都丹後産のジャージー牛乳をそのまま使用している。ミルクが濃厚で、クリーミーな味わいを追求した。「赤」には、奥京都の廃校をリノベーションした場所で栽培しているイチゴをぜいたくに使ったイチゴソースが入っている。
開発のきっかけは、摂食嚥下(えんげ)障害の高齢者などに向けて食事を提供する人たちの声だった。摂食嚥下障害は、そしゃく能力の低下などが原因で、ごはんやおやつをうまく食べられなくなる状態を指す。病院や高齢者施設のスタッフは、食事をゼリー状にしたり、ミキサーにかけたりすることで、なんとか食べてもらおうとしている。しかし、食欲がわかないといった理由で完食してもらえないケースもあり、栄養面での課題があった。
アイスクリームは冷たくて食べやすいので、そうした人に提供するのに向いている。しかし、病院や施設では配膳するのが基本なので、食べる前に溶けてしまうという課題があった。液体の状態では、むせてしまう人もいる。
厚生労働省によると、要介護(要支援)認定者数は、20年3月末時点で約668万人いる。また、摂食嚥下障害は要介護高齢者の18%にみられ、そのうちの40%は在宅高齢者だという報告もある。悩んでいる人は決して少なくはない(出所:平成26年度摂食嚥下障害を有する高齢者に対する地域支援体制の取組収集、分析に関する調査研究事業報告書)。
藤井さんは、自社の新規事業を創出するため、福知山市の起業家人材育成プログラム「NEXT産業創造プログラム」に応募。摂食嚥下障害に関する現場の声を聞いていたこともあり、溶けにくいアイスクリームの開発に取り組むことになった。
食べた人に知ってもらいたいこと
5月末からネット通販を開始した溶けにくいアイスに対して、どのような声が寄せられているのか。藤井さんは「あるカフェの方からは『摂食嚥下障害の人にも向いている』と評価してもらった」と説明する。主に、食事を飲み込みにくい人や、液体でむせてしまう人などに提供しやすいと捉えるユーザーもいるようだ。
藤井さんはさまざまな事業者に向けて、溶けにくいアイスの用途提案を進めている。例えば、移動販売のキッチンカーや、野外でのキャンプシーンでは、溶けにくいアイスには需要があるかもしれない。また、飲食店のランチセットで、食事と一緒にアイスが提供できるようになることも、アピールポイントになると考えている。パフェに使えば、きれいな状態が長く保てるというメリットもある。
藤井さんは「摂食嚥下障害の人だけでなく、普通の人が食べてもおいしいと思えるものを目指してアイスを開発した」と力説する。値段はやや高いが、原料にこだわることで味を多くの人に評価してもらう狙いがある。
また、栄養士による食事支援の考え方をもっと広く普及させたいという願いも商品に込めている。栄養ケアが必要なのは高齢者だけではない。妊婦や子どもにも役立つ情報が提供できると藤井さんは説明する。溶けにくいアイスを開発した背景にあるストーリーを通して、困ったときに栄養士に支援してもらえることを知ってもらえればというのが藤井さんの願いだ。
現在、同社の業務用ルートを通じて、カフェやホテルのお土産屋などにも溶けにくいアイスをアピールしている。徐々に拡販を進めている段階だが、新しいニーズを掘り起こすことができるか。