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女優・泉ピン子<9> 日劇で座長公演、西田敏行君との友情

産経ニュース
日劇「お笑いワイドショー」公演を行う。お色気たっぷりな、ピンコレディー =昭和52年9月
日劇「お笑いワイドショー」公演を行う。お色気たっぷりな、ピンコレディー =昭和52年9月

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《テレビやラジオで、芸人、女優、歌手として八面六臂(ろっぴ)の大活躍。昭和53年11月には、娯楽の殿堂として親しまれていた東京・有楽町の日本劇場で、初の座長公演「泉ピン子ショー」を開く。「テレビ局は花ざかり」と題して、芝居と歌でテレビ番組のパロディーをつなげながらのピン子スター誕生物語という内容だった》

この公演の出演メンバーは、せんだみつお、小野ヤスシ、木ノ葉のこ、芦川よしみ、所ジョージ、ラビット関根(関根勤)、玉川カルテット…。芸人や女優、歌手など、多彩な顔ぶれでした。日替わりゲストは、西川きよし、由利徹、左とん平、牧伸二といった当時の芸能界の大御所たちです。

そのときに、(下積み時代からの戦友である、俳優の)西田敏行君に友情出演を頼みました。垂れ幕も作って、大きく「西田敏行友情出演」と書いてもらおうと思いました。ところが、主催の東宝は「西田敏行なんて、名前が売れていないから、友情出演はできない」と言うのです。でも、西田君の出演が座長公演の条件だと言い張り、私は譲りませんでした。

開幕してからは、その西田君が面白いと大評判になりました。即興で、その日の歌を作って歌うんです。彼は天才です。もう、お客さんが舞台袖まで鈴なりで、(コメディアンで俳優の)渥美清さんも見に来られました。西田君と2人で「渥美さんが見に来てる!」と大喜びしました。3階までずっと満席公演でした。

《西田さんとは、ドラマ「いごこち満点」「三男三女婿一匹」(いずれもTBS)で共演もした》

とても気が合いましたが、恋愛関係になるようなことは全くありませんでした。奥さんがとてもできた人で、私と西田君の男女の仲が噂されたときも、家に押しかけてきた週刊誌の記者に「ピン子さんは、うちの宝です」と言ってくれました。

私、西田家にも泊まりに行っていましたからね。ある時は奥さんを喜ばせようと、2人で食べ物をテイクアウトして西田家に帰ったら、「こんな時間に、子供も寝ているのに何事だ! 帰ってくるな!」と怒られました。奥さんは、幼い子供を育てている最中だったんですよ…。反省しました。

昭和56年に西田君が「もしもピアノが弾けたなら」で、日本レコード大賞で金賞を受賞したとき、放送で私が花束を持って西田君のところへ出ていって、帰り道そのまま西田家に寄ったら、お嬢さんに「ピン子姉ちゃん嫌。ママみたい」と怒られました。要するに、彼女はテレビで放送を見ていて、私が西田君の横や後ろで泣いているから、まるで西田君の奥さんみたいに振る舞っていると思ったのでしょうね。とても怒られて、「ああ、子供心に傷ついたんだな」と思って、幼子を傷つけてしまったことが悲しかったです。二度と傷つけるようなことはしない、と誓いました。

その子たちも、今は40いくつになるんですね。

《日劇の座長公演では、ピン子さんの芸達者ぶりも話題を集め、新聞記事をにぎわした》

私はダンスパートもあって、その時にリフトをしてくれたのが、(後に「マツケンサンバⅡ」の振り付けなどで有名になるダンサーの)マジこと真島茂樹さんでした。ビッと持ち上げてくれて、あの頃は彼も若かった。

歌手パートでは、新曲の「チョット見のいい女」も歌いました。作者の紫(し)牟(む)田(た)健二先生による、私をイメージした曲とのことでした。歌詞は「チョット見のいい女」と歌いだして、「よく見りゃ、だめさ」と続きます。これも夜中の3時にレコーディングをするなど、無理なスケジュールでリリースしたものです。とても忙しかったので、本当はやりたくありませんでした。(聞き手 三宅令)

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