話の肖像画

女優・泉ピン子(4)貧乏ドサ回り…心に染みた父の忠言

産経ニュース
ギター漫談でデビュー。演芸場とキャバレー回りの生活が始まった(本人提供)
ギター漫談でデビュー。演芸場とキャバレー回りの生活が始まった(本人提供)

(3)にもどる

《駆け出しの漫談家として、演芸場とキャバレー回りの生活が始まった。牧伸二の前座などをつとめ、19歳のときに、東京都渋谷区にあった東急文化寄席でデビュー。当時の新聞記事には、「東京でただひとりの女流漫談家。ハイ・ティーンの女流芸人で、話術と声帯模写だけを売りものにしているのはピン子だけ」とある》


売れなかったですよ。ある芸能関係者に「お前が売れたら、東京中を逆立ちして歩いてやる」とけなされたこともあります。…その人、まだ芸能界にいるんですよ。ふふふ、私は覚えていますからね。いつか逆立ちしてもらわないと。

1日3回の公演をして、出演料は500円。そして交通費は180円。貧乏だったけど、お笑いコンビ「コント55号」として活躍していた萩本欽一さんにネタを作ってもらったり、漫才師の内海好江さんにご飯を食べさせてもらったり、良い思い出です。お世話になった人はたくさんいます。

ストリッパーのお姉さんたちにもかわいがってもらいました。正月の(千葉県)船橋で、劇場横のキャバレーに出たら、お姉さんたちに「あんたかわいそうだね。若いのに正月からこんな大きな荷物を抱えてねえ」と同情され、戸惑いました。ストリッパーと芸人、どちらが幸せなのだろうと思いました。

列車に揺られて地方を回りました。駅弁ばかり食べ続けていて、それがいやになって、今でも(テレビの仕事で地方を訪れたときなどに出てくる)ロケ弁は食べません。


《芸人になってからも、父には何でも相談した》


時間さえあれば、よく父と義母、ボーイフレンドと私でマージャン卓を囲みました。芸名について、「ピン子のピンは、マージャン牌(パイ)の一筒(イーピン)をもじったもの」とも言いましたね。

父からは芸人として、いろいろな心得を教わりました。

一緒に喫茶店に入ったときのことです。私はおなかをすかせていたので、ここぞとばかりにサンドイッチにパフェ、コーヒーと頼みました。そうすると父が「小夜ちゃん(本名)、いくらお金を持っているの?」と聞くのです。「え、千円」と答えると、「千円で全部これ払えるの?」とまた聞く。「払えないよ」「誰が払うの?」「お父さん」と答えると、「僕は君に、そういう卑しい育て方をした覚えはない」と注意されました。ハッとしましたね。父は続けて、「君は売れていないのだから、人からごちそうになるときは、メニューの下から頼みなさい。上の高いものから言わないで、払える範囲で言いなさい。卑しいというのは直りません」と教えてくれました。

それは今でも勉強になりますね。今の子って、実に失礼だと思います。「同じでいいです」と言いますから。「先生と同じでいいですから」って。売れてもいないのに同じかよ、と思います。それは違うでしょう。私たちのときは「絶対に売れてよいもの食べてやる」という根性がありました。

師匠たちがお店で食べているとき、私たちは外で待っていて、焼き肉なんかだと良い匂いが漂ってくるわけです。それを嗅いで「いつか中で食べてやる」って誓うわけです。

父からは、ほかにも教わったことがあります。

キャバレー回りでとても忙しかったとき、所属事務所の専務になっていた父に「(こんなに忙しいのは)もう嫌だ」と言ったんです。そうしたら、ある月、私のスケジュールが真っ白になりました。仕事が入っていないので、出演料の精算日になっても、一銭も出ません。父に「分かった?」と言われました。そうか、そういうものかと納得して、それからは決められたスケジュールに文句を言うことはありませんでした。(聞き手 三宅令)

(5)にすすむ

  1. NHK朝ドラあすの「ちむどんどん」8月17日OA第93話あらすじ ビタミン剤を売るビジネスに賢秀(竜星涼)は疑問を抱き…

  2. NHK朝ドラ「ちむどんどん」賢秀(竜星涼)がねずみ講に…優子(仲間由紀恵)巻き込む展開に視聴者悲鳴、和彦(宮沢氷魚)には「教えてあげないと!」の声

  3. 中露〝蜜月崩壊〟習主席がプーチン氏見捨てた!? 「ロシアの敗北は時間の問題」中国元大使が発言 インドの浮上で変わる世界の勢力図

  4. キムタクだけマスク着用の集合写真に「これが有名人が伝えるべきメッセージ」「好感度爆上がり」と称賛の嵐

  5. NHK朝ドラあすの「ちむどんどん」8月16日OA第92話あらすじ 独立に向けて課題が山積みの暢子(黒島結菜)、賢秀(竜星涼)は我那覇と再会し…