集中豪雨により長崎県内で死者・行方不明者が計299人に上った昭和57年7月の長崎大水害は23日で発生から40年となった。被害の大きかった長崎市川平町で自治会主催の慰霊祭が開かれ、自治会長の尾崎恒夫さん(82)は「この慰霊祭は被災者が触れ合う時間でもある。当時を思い出しながらお参りしてほしい」とあいさつした。
自身も被災し、親族3人が亡くなった草野雄介さん(77)は「生き残った人たちで、被害を後世に伝えていきたい」と取材に話した。慰霊祭後の午前11時、防災無線で黙禱(もくとう)を呼びかけるサイレンを市が放送し、参列者らは目を閉じて犠牲者を悼んだ。
57年7月23日夕から翌24日未明にかけて長崎市周辺で激しい雨が降り、家屋の倒壊や水没、土砂崩れが相次いだ。国の重要文化財で観光名所の眼鏡橋も損壊した。