安倍晋三元首相が第1次政権で「自由で開かれたインド太平洋」構想の原型を発表したとき、「当時は、世界の多くの識者は彼が挑発的で危険だと考えていた」(元米NSCアジア上級部長、マイケル・グリーン氏、朝日新聞7月10日付)。世界にまだ中国への警戒心がなかったからだ。
「中国が日本やアジアの他の国々への軍事的、経済的な圧力を増すなかで、安倍氏は(自由で開かれた)インド太平洋の構想を発案した。これは(米)バイデン政権が完全に取り入れているものだ。日本が新たな戦略的構想の考案をリードしたのは初めてのことだった」(米外交問題評議会上級研究員、シーラ・スミス氏、朝日新聞7月10日付)。
日本国内でも、安倍氏の政策は一部の人たちに危険視された。防衛情報などの漏洩(ろうえい)を防ぐ「特定秘密保持法」制定の際には、暗黒社会が到来すると野党や大半のメディアは反対した。
保持するが行使できないとされてきた集団的自衛権について有識者会議などでの検討の末、限定的な行使は可能と政府の憲法解釈を変更した。そして、新しい憲法解釈に基づいて安全保障関連法を制定した際には、野党や市民団体は「戦争法」と呼び、戦時体制になると煽った。
「テロ等準備罪」を新設した際にも、警察国家になると国民の不安を搔き立てた。これらは日米同盟を緊密化し、抑止力を高める措置だった。逆に、外国から戦争を仕掛けられないようするものだった。野党やメディアが主張したような事態は何一つ起こっていない。