25歳の時、平成19年の県議選に野田市選挙区から出馬して初当選。約10年前、県議として医療機関の「非稼働病床」の実態把握を県に働き掛けた。判明した約2500床はその後、千数百床まで減り、「貴重な医療資源を増やすことができた」と振り返る。
県議を辞職し、参院選に立候補した理由について、「給料が上がる経済の実現や教育の無償化は、県ではできない。国の政策を変えなければ進まない」と説明する。
政治とは無縁に育ったが、大学のゼミで地方自治と行政について学ぶ中で興味が強まったという。
好きな言葉は「進取果敢」。「やってみないと始まらない。新しい可能性に挑戦をして、結果がどうなったかを検証していく」と話す。
小中高で吹奏楽、大学ではオーケストラに所属。主にホルンを担当し、大学時代はベルリン、ウィーンでも演奏した。「自分をベストな状態に持っていかないと他人に迷惑を掛けてしまう」ことを学んだという。