《NHK新人演芸大賞落語部門(現NHK新人落語大賞)。若手落語家の登竜門と呼ばれる賞を平成24年に受賞した。二つ目昇進1年目のことだった》
一緒に前座修業をしていた先輩の瀧川鯉八兄(あに)さんが二つ目になった後の1年目に新作で本戦に出ていたのを見て、かっこいいなと思っていたので、自分も1年目で本戦に出るのが目標でした。絶対出てやる。本戦行きが決まったときは「よし」と。後は「本戦の雰囲気に慣れて楽しんでこよう。数年後に大賞を取れたらいいな」という気持ちでNHKホール(東京・渋谷)に向かいました。
「元犬」をやりました。若手の賞だから大ネタではないはずなので、前座でやり慣れているネタで行くと決めました。11分のネタなんで、マクラなんかほとんど振れないんだけど、アナウンサーが言ってくれた言葉に何かを乗っけて返して、ちょっと笑いを取ってから本題へいきました。
僕自身は楽しんでいました。大賞を取るより、放送の向こうの視聴者や審査員より、目の前にいるお客さまが笑ってくれりゃいいだろうってやってたら、たまたま取っちゃったんです。審査基準も分からないし、手応えもありませんでした。自分でもびっくり。
「やっちゃったな。うわ、すごいな。やばいな。1年目に取っちゃってどうすりゃいんだろう」
《「元犬」は、人間になりたいと願掛けした野良犬が成就して人間となり、周囲の人間たちと滑稽なやりとりを繰り返す噺(はなし)だ。若手落語家も、念願がかなって貴重な受賞となった》
収録後、インタビューとか賞金の授受とかがありました。ほかの人は全員、芸能事務所に入っているような先輩ばかり。自分だけフリー。みんなが待ってくれているわけもなく、楽屋に帰ったら独りぼっちでした。着替えて玄関を出ると、外はもう真っ暗。渋谷駅へ向かう道を歩きながら、かみさんに電話しました。
「どうだった?」
「ダメに決まってんじゃん」
「そっか。ご飯、用意してるから帰ってきなよ」
気を使ってくれるかみさんに「ウソだよ。優勝した!」と大きな声で伝えると、うれしくなって目から涙が出てきました。
「よかったね」
声色でかみさんも泣いているのが分かりました。
《番組収録で通いなれた道の景色がにじんで見える。携帯電話を手に歩き続けた》
かみさんには前座時代から迷惑をかけっぱなしでした。かみさんがためてきた貯金を切り崩した時期もあった。いろいろ頑張って仕事をしたけど、めちゃくちゃぜいたくできるほど稼いでいたわけではなかった。「なんか頑張んなきゃ」「子供もいるし、どうにかしなきゃ」と思っていたときに取れた賞だったので、本当にうれしかった。
かみさんは舞台女優をしながら銀座でホステスとして働いていたんですが、僕が結婚と同時に会社を辞めて前座になったものだから、子供を産んだ後、すぐに復帰しなければならなかった。夜働いて昼は寝ていられるかというと、僕が修業でいないから、3時間おきに子供にミルクをあげたりして面倒をみなければいけない。昼夜どっちも起きていなければならなくなってしまい、とうとう体調を崩してしまいました。
さすがに無理です。体調を崩すのが当たり前になっちゃっていた。「体を壊すぐらいだったら、お金なくてもいいから辞めよう」と言って辞めてもらいました。
そんなに昔ではない、数年前の日々のことを思い返しながら、その日はまっすぐ家に帰りました。(聞き手 池田証志)