話の肖像画

落語家・桂宮治(14)自分の居場所でスーパー前座に

産経ニュース
前座時代
前座時代

(13)にもどる

《入門を許された弟子はまず「見習い」として師匠の身の回りの世話をしたり、師匠の後について回ったりして、落語界で生きていくのに必要な「行儀」を身に付ける。師匠に認められるまで寄席の楽屋にも入れない》

僕は31歳になっていて営業の経験もあったので「しっかりしているから、すぐに楽屋入りさせよう」と言われました。ある日、池袋の東京芸術劇場でうちの師匠の高座があり、楽屋にあいさつに行くと、師匠とおかみさんがいて「お前の名前が決まった。宮治だ」と前座名を言い渡されました。

大師匠の十代目桂文治一門では、前座名に本人の本名から1字を取って「治」の前に入れていました。だから僕の本名の「宮利之」の「宮」の字を取って「宮治」。物心ついたときから慣れ親しんだ文字で違和感がなく、「宮」という字が付く噺(はなし)家(か)が東西に一人もいなかった。ありがたく頂戴しました。

前座修業では師匠の家に居候する人もいますが、僕は結婚していたので自宅から通い、落語家としての基礎知識を学びました。着物のたたみ方、着方、太鼓のたたき方…。太鼓といっても一番太鼓、二番太鼓、中入り太鼓、追い出し太鼓、出囃子(でばやし)といろいろある。楽屋での立ち居振る舞いは「いまは俺のころと違うから、楽屋で先輩方から教わって」と言われました。

師匠の気に入らないことをして、「破門」といわれた瞬間に僕は「桂宮治」から「宮利之」に戻ってしまう。師匠は絶対です。師匠が気持ちよくいられるように動き続けるのが修業の始まりです。自分が好きだといって入った、たった一人の師匠すらいい気持ちにさせられなかったら、噺家なんか無理。師匠が楽屋で「あのお弟子さん取ってよかったね」と言ってもらえるようになろうと決めていました。

《楽屋入りは平成20年、浅草演芸ホールの二月下席だった》

楽屋にいる間は誰よりも気を使い、やれと言われたことを何一つ手を抜かずにこなします。ずっと正座をしていて、師匠が「んっ」って言ったら白湯(さゆ)を持っていく。立ち上がった瞬間に着付けにつく。そうしながら「捨て耳」といって、高座の声を聞いていて、切れ(終わり)そうになったら「すみません」って走っていってドアを開ける。

一方で先回りをし過ぎるのも鼻についてよくない。本当にかゆいなって思ったときにかくようにする。言い訳をしないことも大切。先輩が間違えていても従えば、後で「言い訳しなかった」という話が広まります。

年下であっても先輩がすべてを知っている。その人たちが教えてくれなかったら自分は何もできない。一般社会で通用するビジネスマンでも楽屋に入ったら何もできません。厳しい先輩もたくさんいたけど、教えようと思えばこそです。いつも心から「ありがとうございます」と言っていました。

《3年もたつと「スーパー前座」と呼ばれるようになった》

「前座仲間は一生だから大切にしろ」と師匠によく言われました。「棺おけに入るまで俺たちは一緒なんだよ」と。人生で初めて自分の居場所を見つけた気がしました。それまでいろんな仕事をしてきたけど、器用貧乏でなんか適当にやれて、「死ぬまで続ける」って思った仕事は一つもなかった。だから「居場所が見つかった」と気づいたときは死ぬほどうれしかった。

つらいことはいっぱいあったんですが、それも含めてすべて楽しかった。めちゃくちゃ怒られながら、めちゃくちゃワクワクしていた。いま振り返っても、前座のあの期間が一番楽しかったですね。(聞き手 池田証志)

(15)にすすむ

  1. 中露〝蜜月崩壊〟習主席がプーチン氏見捨てた!? 「ロシアの敗北は時間の問題」中国元大使が発言 インドの浮上で変わる世界の勢力図

  2. 【許さない 未解決事件のいま】(3)ポツンと一軒家の惨劇 私的懸賞で解決願う長男 茨城高齢夫婦殺害

  3. ロシア大敗、反攻猛進撃のワケ ウクライナが東部要衝奪還、東京なら1・4倍の広さ 「プーチン大統領は四面楚歌状態」渡部氏

  4. 山梨の女児不明 20分間に何があったのか 家族が経過明かす

  5. ウクライナ避難民女性と日本人の身元保証人にトラブル続発 78人が日本から出国