ただし「日本化」は日本社会や政策担当者、政治家の既得観念によって脱却が難しい面もあるのも確かだ。例えば、日本社会ではデフレマインドが定着していると永濱氏は指摘している。「日本化」の脱却のためには、デフレが終焉するまで積極的な財政政策と金融政策を行えばいい。だが財政政策を積極的にやると、必ず出てくるのが「財政危機の心配」だとか「財政再建の必要性」だとかだ。これらは代表的な財政をめぐる既得観念の例だろう。
財政危機は感情的に利用されることが多い。だが、簡単に定義すれば、経済成長率と(10年物の国債などの)利子率との大小関係で規定できる。経済成長率が利子率を上回れば、基本的に財政危機は回避できる。反対に利子率が経済成長率を上回れば「財政危機」的な状況だ。経済成長率が利子率を上回っていけば、その結果としてしばしば話題になるプライマリーバランス黒字化も実現できる。これがシンプルな法則だ。
もちろん元国際通貨基金(IMF)のチーフエコノミストであるオリビエ・ブランシャールが最近でも強調しているように、財政危機が起こるかどうかを判断するマジックナンバー=絶対の公式は、存在しない。それでも上記の経済成長率>利子率を実現することは、財政危機を回避する上でもっとも信頼できる枠組みだ。
これでいくと現段階では、利回りは0%近いがそれでもプラスであり、他方で経済成長率はコロナ禍の影響でマイナスである。もちろんこれですぐに財政危機が来襲するわけでもないのは、ブランシャールも指摘しているところだ。ただし、これが長期間に続くとまずいことも明白だろう。そのために経済成長率を上昇させて、コロナ禍前の水準からさらに上昇させるべきだと思う。そのために経済を底上げするための積極的な財政政策は必要不可欠である。
矢野康治財務事務次官に代表される緊縮財政のスタンスは、上記の意味で、むしろ財政危機をもたらす元凶である。財務省の緊縮派はもちろん「財政危機を回避するために緊縮財政をするのだ」と思い込んでいるのだろうが、実際には真逆である。例えば、なぜ緊縮財政という既得観念が現れるのは、以下の「緊縮の罠」で説明もできる。
緊縮の罠は、アントニオ・ファタス氏(INSEAD教授)が提起した考え方だ。彼はリーマンショック以降の欧州諸国での緊縮財政を念頭においているが、これは今日の日本の緊縮財政主義にも適用できる。簡単にいうと、日本の潜在能力(潜在GDP)を過小評価することによって、十分な財政政策をやる意義を見出していない事、さらにそのことが自己実現的に現実の経済成長率と潜在能力自体も下げてしまうのだ。
つまり風邪をこじらせている人に、もともと風邪をひきがちだと勝手に決めつける医者に、財務省緊縮派は似ていることになる。ろくな処方を与えないことが、かえって風邪をさらにこじらせてしまう。それは患者の潜在的な生命力に危機をもたらしかねない。これが緊縮主義の「既得観念」のヤバさである。