本郷和人の日本史ナナメ読み

梶原景時の謎㊦義経の勝利は幸運だっただけ?

産経ニュース
竜宮造りの水天門を持つ赤間神宮(山口県下関市)
竜宮造りの水天門を持つ赤間神宮(山口県下関市)

さて、先週扱った「逆櫓(さかろ)論争」をもう一度考えてみましょう。船が退くのに便利な逆櫓を取り付けるべしと説く梶原景時。初めから退くことを考えていたら、戦には勝てない。よって逆櫓は不要とする源義経。上に立つ者としてどちらが正しいかと問うなら、もしもの事態にも備える景時に軍配を上げたくなりますが、いかがでしょうか。命のやりとりでは、何が起きるか分かりません。通常の常識や理知的な思考を大きく逸脱する狂気を、それは引き出すのです。ならば、冷静な指揮官ほど、逆櫓の準備を推奨するように思います。

反論は当然あるでしょう。戦いには「勢い」こそが大切だ。そうした主張は一概に否定できないのです。漫画『キングダム』で、なぜ主人公の信はわざわざ敵軍の大将と一騎打ちをするのか。三国志の関羽がなぜ青竜刀を振り回して、先陣をきって敵陣に突撃するのか。答えは、「勢い」です。指揮官が率先して戦う姿を見せることにより、「勢い」を醸成し、兵の士気を高める。兵にやる気がないならば、どんなに兵器が優秀でも勝てません。私たちはいま進行しているウクライナでの戦争で、それをイヤというほど見せつけられているではありませんか。まあ、ロシア兵の士気があがらぬのは、戦いに大義がないからですので、勢いの話とは少しだけズレるのですが。

『キングダム』も関羽や張飛が超人的な活躍を見せる『三国志演義』もフィクションです。ですが、正史を見ても関羽は袁紹(えんしょう)軍の将軍である顔良を斬っています。張飛は長坂の戦いで殿(しんがり)を務め、曹操の大軍に仁王立ちしてみせました。一方で呉の司令官である周瑜(しゅうゆ)が一騎がけをするような描写は、『演義』にすらありません。フィクションであっても、そこはきっちり描き分けている。衆に抜きんでた膂力(りょりょく)をもち、武芸に秀でた関羽や張飛のような武将が、兵を奮起させるため、勝利を目指すためのスキルとして、陣頭や殿軍(でんぐん)にひとり立つのでしょう。

こう見ていくと、義経も「軍勢の勢い」をこの上なく重視したのでしょうね。だから、逆櫓などもってのほかと考えた。とはいえ、彼の軍事行動は、出だしから相当に危ういものでした。屋島の攻略を目指した義経は、元暦2(1185)年2月18日、暴風雨の深夜に渡辺の津(現在の大阪市中心部)を出航します。諸人は危険であると止めましたし、船頭らも悪天候を恐れて出航を拒みました。ところが義経は郎党に命じて船頭を脅し、5艘(そう)150騎で出航を強行したのです。同日午前6時、義経の船団は4時間ほどで阿波国勝浦に到着しました(『吾妻鏡』)。

渡辺の津から勝浦までの距離は分かっています。所要時間も分かっていますので、船の速度は計算できます。実はぼくはテレビの企画で、このスピードで走る漁船に乗り、屋島周辺を航行したことがあります。もちろん、救命胴衣をつけて。船は当時とは比べものにならぬくらい安全だし、むりなくスピードが出る。でも、運動神経が鈍いぼくは、立っていられませんでした。それくらいの速さなのです。義経たちは強風に吹かれる粗末な船に乗り、しかも海に落ちたら確実に沈む重い鎧(よろい)(20キロはあります)を着た状態で、四国にたどり着いた。いくら「勢い」重視とはいえ、これは…。

こんな悪天候では、源氏軍は動けまい。普通の人ならそう考える。ところが義経はそうした暴風雨をものともせずに屋島を襲います。しかも阿波方面、つまり屋島の背後から。すっかり不意を打たれた平家軍は、兵力では遥(はる)かにまさりながら、義経たちがわずかな兵であることを知らぬままに敗走します。下関の彦島を目指して逃げていったのでした。そしてこの後、天候が回復してから、兵船を整えた梶原景時らが屋島に到着します。「今ごろ何をしに来たのか」。景時は義経の嘲(あざけ)りを受けることになりました。

屋島の戦いは、「勢い」を計算に入れた義経の作戦勝ちだったのか。それとも、彼は運が良かっただけか。たぶん議論は分かれるでしょう。ぼくはどうにも後者のような気がしてなりませんが、ともあれ、この段階で平家は彦島に行くしかなくなった。そこで引き続き、壇ノ浦の戦いに言及しましょう。

歴史好きな方はご存じでしょうが、ここでも義経は「タブー」を犯します。船を操作する「水主・梶取」(かこ・かんどり、と読む)の射殺を命じて、平家の船の動きを止め、一挙に平家水軍を打ち破ったのです。水主・梶取は源氏・平氏、どちらにも属さない中立の民間人です。戦場に大量の雑兵が連れてこられるのは、早くても南北朝時代。源平の戦いは、先述しましたが、プロの戦士とプロの戦士の戦いです。ですから、民間人は巻きこまないのがルールでした。この意味で水主・梶取の射殺は、武士としてはしてはならぬ行為。のちに武士道となる「兵の道」に背く振る舞いでした。義経と景時、もう少し来月も考えてみましょう。

次回は7月7日掲載予定です。

【用語解説】壇ノ浦の戦いと赤間神宮

貞観元(859)年に阿弥陀寺として開山したと伝わる。壇ノ浦の戦いで亡くなられた安徳天皇の供養のため、建久2(1191)年、後鳥羽天皇の勅命により御影(みえい)堂が建立され、以後広く崇敬を受けた。明治維新後の神仏分離令により阿弥陀寺は廃され、神社に。明治8(1875)年、赤間宮となり、昭和15(1940)年、官幣大社に。また赤間神宮に改称した。境内には平家一門の供養塔(七盛塚)や耳なし芳一ゆかりの芳一堂がある。

【プロフィル】本郷和人

ほんごう・かずと 東大史料編纂(へんさん)所教授。昭和35年、東京都生まれ。東大文学部卒。博士(文学)。専門は日本中世史。

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