《化粧品セールスの「ワゴンDJ」として、量販店の店頭で客を集めるまでが落語で言うところの「枕」(本編前の世間話や小噺(こばなし))だとしたら、次が「本題」(本編)。商品のセールスポイントを説明し「今なら3本買えば、1本無料でお付けします」などと〝特典〟を告げた瞬間、客がワゴンの中の商品を手に取れば「サゲ」(オチ)となる》
同じセリフを他の人が吐いても「信用できない」「いつもやってるんでしょ」ってなるのを、「いま、緊急事態ですよ」っていう気持ちでどれだけやれるか。「本当にこれ、使うとシミが消えてなくなるんです!」って。気持ちと思いを言葉に乗せるのがすごく大事なんです。言霊ですね。
ひと月に25回も店頭に立ったこともありました。もともと、喉が弱いので、指名を断らなければならないくらい。俳優養成所を出た後、「プロとして俳優で食っていく」とは思っていなかったけど、そのうちに芝居の声がかからなくなって。最後の方は「芝居はもういいや」ってなっていました。
《一方で、心の中にある気持ちが芽生える。自分は人を不幸にしているのではないか―。毎日のように客の目の前で塗るクリームのおかげでツルツルになった左手の甲を見ながら、そんな思いが少しずつ胸に広がっていく》
化粧品セールスの会社には6年くらいいました。最初のころは商品が売れて、売り上げが伸びるのが素直にうれしかった。でも、後半は「売り上げ、売り上げ」「もっと、もっと」ってなってました。なぜかそれが良いこととは思えなかった。「なんだろ、これ」って。
やがて「あの日、俺に出会わなければ、買わずに済んだものを売っちゃってるな」と思い始めました。「家に帰って、心の底から『買って良かった』と思ったお客さんは全体の何割だろう」と。お客さんにしたら全部信じていたわけではなく「試しに買ってみようかな」くらいだったのかもしれないけど、そのときの僕にはそうは思えなかった。
「俺、これ、人を幸せにしていないな」
そう思ったら、精神的に強くないのでどんどんダメになっていって…。当時同棲(どうせい)していたかみさんに「現場に行きたくない」と告げると、「辞めちゃえば。つらい仕事していたら、お金があっても幸せじゃないから。一度きりの人生なんだから、やりたいことをやればいいよ」と言ってくれました。
「じゃあ、辞めよう」
即決でした。すでに結婚式場の予約も済ませ、段取りなんかを決めていた時期でした。
《新作落語「プレゼント」(令和2年11月初演)では、地方巡業中のセールスマンが、特典に釣られて化粧品をまとめ買いしようとする高齢の女性にこう言うシーンがある。「こんなの無理に買う必要ないよ。(中略)おうちに帰ってお子さんとかお孫さんとかに『なんでおばあちゃん、こんなのだまされて買ってきたんだよ』とかなったりするから。おばあちゃんに売りたくないんだよ」》
会社を辞めると決心したものの、基本、逃げるタイプなんで、踏ん切りがつかないでダラダラと続けちゃうんじゃないかと悩んでいるうちに、結婚披露宴当日になりました。新郎の最後のスピーチをしようとしたときに「そっか、ここで言えばいいんだ。そしたら逃げられない」と思いつきました。
「会社を辞めます。何か別のことを始めると思うので、皆さん、よろしくお願いします」。さすがの妻も、この日に言うとは思っていなかったようです。(聞き手 池田証志)