赤軍第7軍麾下の第828航空攻撃連隊に配備された1機のIl-2M3シュトルモヴィクは、1944年10月10日の出撃で対空砲火を浴びてエンジン不調に陥り、凍結したティトフカ河支流の湖に不時着を敢行した。パイロットのK.P.プロホロフ中尉は辛くも生還したが、やがて春の訪れとともに放置された機体は水没して姿を消し、忘れ去られた存在となった。
しかしソ連邦が崩壊した1991年になり、残存第二次大戦機探索チームのヘリコプターが、名もない湖に沈む本機を発見し、回収チームによって引き揚げられたのである。製造番号305401が刻まれたIl-2M3シュトルモヴィクは、不時着からほぼ半世紀が経過していたにもかかわらず、極低温の淡水に浸っていたため思いのほかコンディションは良好で、驚くべきことにも機体の約60%が再使用に耐えられる状態だった。
回収された機体は、ロシア中南部ノヴォシビルスクのレトロ・アビア・テック社に運び込まれ、FHCの資金で2005年から本格的な復元作業に着手した。同社は飛行可能なポリカルポフI-16戦闘機やミグMiG-3戦闘機など、数多くの第二次大戦機を再生して飛行させた実績があるうえ、不足する部品は別に回収したもう3機分のIl-2から転用することができたため、復元作業は極めて順調に進んだ。
ただし原型機が搭載する液冷V型12気筒1700馬力級のミクリンAF-38Mエンジンだけは再生不可能なため、同型式でスペック的に近似したP-38ライトニング戦闘機用の米国製アリソンV-1710-113が転用された。
かくしてイリューシンIl-2M3シュトルモヴィク第305401号機は2011年9月、二度目の初飛行に成功した。そして同年11月7日に実施された赤軍70周年パレードでデモンストレーション飛行を披露した後に、分解して貨物船で米国に搬送され、FHC所蔵機に加わってアメリカの大空を翔ていたのである。
【第二次大戦機の真相と深層】いまも飛行可能な第二次大戦機を追い続けるジャーナリスト藤森篤氏。エア・トゥ・エアの空撮を得意とし、自ら撮影する写真と詳細な取材で世界の名機をリアルレポートする同氏が、近年の各国工業基盤の礎となったそれら産業遺産の真価を解説する連載コラムです。アーカイブはこちら