拳闘の島 沖縄復帰50年

(24)殿堂入り世界王者・具志堅用高 宙を舞ったタオル

産経ニュース
白いタオルが宙を舞い、具志堅(左)はタイトルを失った=昭和56年3月8日、沖縄・具志川総合体育館
白いタオルが宙を舞い、具志堅(左)はタイトルを失った=昭和56年3月8日、沖縄・具志川総合体育館

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具志堅用高の3度目の防衛戦までトレーナーを務めた仲井真重次は、協栄ジム会長の金平正紀に直訴して上原康恒の担当となった。「順番というものがある。用高が先に世界王者となったから、康恒さんにもなってほしかったんだ」。だが上原になかなか世界挑戦の機会が訪れないなかで仲井真は協栄を去り、具志堅14度目の防衛戦開催時には沖縄に帰っていた。

■ ■

昭和56年3月8日、具志川市総合体育館。挑戦者のペドロ・フローレス(メキシコ)に続き、チャンピオンの具志堅が入場してきた。8千人の観衆は歓声をあげ、指笛を鳴らし、郷土の英雄を迎えた。

仲井真の目には、具志堅の体に艶がないように見えた。「ちゃんと練習が積めていれば選手の体は大きく見える。充実して見えるものなんだ。試合が始まると左足のスタンスが少し崩れていた。スタイルを変えたのかなと思わせたくらいに」

石垣島の幼少期からの仲で、プロでもコンビを組んだ兄貴分の目だ。観客からもテレビ桟敷のファンにも、いつもの具志堅に見えていた。右でフローレスを突き、左の強打が狙う。1、2回とも3者のジャッジの採点は具志堅の優位だった。

ラウンドが進むとともに、具志堅の動きが止まる。8回にはフローレスの執拗(しつよう)な連打でロープダウン。9回にはサンドバッグ状態で連打を浴び続けた。

10回は観衆の大声援に後押しされてやや持ち直したが、11回にはまた連打にさらされ、運命の12回を迎えた。

「試合中に目をやられてね。7回以降は相手のパンチが全く見えていないんですよ。だからそのまま、ずるずると打たれてね。それでも12回まで頑張れたのは沖縄だったからですよ。やっぱりコンディションが作れなかったんだね。ダイレクトのリターンマッチで5カ月でしょう。せめて半年はほしかった」

猛然と具志堅に襲い掛かるフローレス。一打一打にパンチ力がない分、止まらぬ連打が残酷だった。2度のダウンを経てロープに詰まる具志堅に、1分45秒、赤コーナーの金平はたまらずタオルを投げ入れた。

高々と宙を舞った白いタオルがリングに落ちた。

具志堅敗れる。会場は静まり返った。無言で控室に戻り、横たわる具志堅に父、用敬は「もういいよ。ご苦労さん」と声をかけたのだという。引退を決めた瞬間である。

■ ■

そのわずか2週間後、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで、総額4億5千万円ともいわれた香澄夫人との豪華結婚披露宴が行われた。華燭(かしょく)の典はさながら具志堅の再起を求める決起集会のようになった。

仲人の蔵相(当時)、渡辺美智雄「これを機会に新たなボクサー人生が始まる。本人も再起するといっています」。ディック・ミネ「君だって神様じゃない。負けることだってある。今度こそぶっ飛ばせ」。野村克也「君はまだ25歳。男25といえば、まだヒヨッコ。再起すべきだ」。金田正一「引退なんてとんでもない」

「祝辞」を聴きながら、具志堅は何も語らない。

ライトを浴びない会場の一角で、ジムの先輩世界王者で自らの名を具志堅のリングネームとすることを拒否した海老原博幸は、こう話したのだという。

「もう体力の限界。今日、この席で引退宣言すると思っていたんだが…」(別府育郎)

(25)へつづく

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