北海道・知床半島沖で観光船「KAZU Ⅰ(カズ・ワン)」が沈没した事故は23日で発生から1カ月となる。乗客乗員26人のうち12人がいまだ行方不明の中、カズ・ワンの引き揚げ作業は23日から本格化する見込みだ。捜索や乗客家族の支援に尽力していた斜里町では、営業を自粛していた大型観光船が今季の運航を開始。住民らは悲惨な事故が二度と起きないことを願いながら、今後の行方を見守っている。
安全確認後、運航再開
22日午前10時半、少し曇りがかった斜里町のウトロ港を「道東観光開発」(網走市)が運航する観光船「おーろら」が出港した。
海上にそびえ立つ巨大な岸壁や知床連山の雄大な自然を楽しんだ乗客は27人。波や風は比較的穏やかだったが、岸壁がなだらかになった「岩尾別」という場所では、マスクや帽子などが飛びそうになるほどの強烈な風が吹きつけた。
札幌市の会社員の女性(54)は「乗船前後にアナウンスがあって非常に安心感があった。これほどの自然を見ることができて知床に来たかいがあった」と満足そうに話していた。
事故発生を受け、おーろらは運航を自粛し、現場周辺海域の捜索に参加。その後、毎年実施している緊急時に対応するための訓練などを行い、今月20日から運航を開始した。
船内には救命設備や通信機器、日頃の点検や訓練について乗客が知ることのできるパネルを新たに設置。運航は、捜索に影響が出ないよう事故現場に近い知床岬までの長いコースではなく、手前で折り返すコースのみとした。折り返し地点からカズ・ワンの沈没現場までは約13キロある。
「(乗客は)観光や応援、哀悼などさまざまな思いがある中で、私たちの船を信頼して乗船していただいた。感謝しかない」。道東観光開発の東海林竜哉営業部長(48)はこう語り、「当たり前のことをもう一度を見直し、気を引き締めていきたい。時間はかかるかもしれないが安心安全に楽しめる知床にしていきたい」と力を込めた。
漁の合間に協力
事故後、船団を組んで捜索に参加した地元漁師。ホッケやトキシラズ(サケ)などを狙う定置網漁が始まり、本格的な捜索は今月5日で終わったが、現在も多くの漁師が漁場の往復などで捜索に協力している。18日にはウニ漁師が沈没現場から北東約12キロにある「文吉湾」周辺で、海底から青色のジーンズを見つけた。
この文吉湾は、昭和41年に一晩で船2隻が遭難する事故が知床半島で発生したことをきっかけに、ウトロ港から半島の先まで避難する場所がないとして、地元漁師らの要望を受け、52年に避難港として整備された場所だ。
当時、岸に漂着したゴムボートを発見した漁師の男性(86)は「(カズ・ワンも)文吉湾に逃げていれば助かったかもしれない。とても残念だ」と悔やんだ。元漁師の米沢末三さん(73)は「(社長や船長に)経験や海に出ていく心構えがなかった」と指摘する。
海とともに生きる知床の人々にとって、今回の悲惨な事故への思いは消えることはない。計7日にわたり捜索に参加した漁師の男性(58)は「今も頭にずっと残っている。全員が見つかって家に帰れるよう今後も漁の合間に協力したい」と語った。(大渡美咲)