「水の都」―。大阪は古来、こう呼ばれてきた。水路が発達し、その水運によって〝商都〟の発展が支えられてきたからだ。大阪を「水の都」たらしめたのは自然の力ではない。先人が『日本書紀』に記された古代から、おびただしい数の工事を繰り返し、人力で築いた街なのである。
5世紀前半、仁徳天皇の時代には堤防や排水路の設置が行われたと『日本書紀』にある。その後の中世、江戸時代にも、埋め立てや河川の付け替えを含む水路開発の大工事が繰り返され、大阪の原型が形づくられた。
大阪市のウエブサイトによれば、大阪港の開港は幕末の慶應4(1868)年とのこと。開港150周年の記念事業が2017年に行われたことは記憶に新しいが、現在の南港、北港の建設工事が始められたのは1928年。工事の完了は、大東亜戦争を挟んだ52年後の80年だった。その間に39年には、世界一の工業都市「大大阪」の発展により、大阪港は貨物取り扱い数で日本一となっている。
こうした街の歴史を、いまの大阪の政治家の何人が知っているのかと、ふと不安になる。というのも、この伝統ある大阪港の周辺が近年、妙な風向きだからだ。
2014年から、南港咲洲(さきしま)には、中国企業「上海電力」が運営するメガソーラー発電所が広がる。この「上海電力」というワードが4月以降、連日のようにトレンド入りする現象が起きている。同社が近年、日本各地で大規模なソーラー発電事業などに参入していることに対し、安全保障上の懸念が広がっているためだ。