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学習院大教授 中条省平 『隠し女小春』 複雑な恋、奇想天外な顚末

産経ニュース
辻原登著『隠し女小春』(文芸春秋)
辻原登著『隠し女小春』(文芸春秋)

『隠し女小春』 辻原登著(文芸春秋・1760円)

現代日本で辻原登ほど面白い物語を語ってくれる作家はいない。小説のあらゆるジャンルを変幻自在に横断し、読者をどこへ拉(らっ)し去るのか、まるで予想がつかないというスリルをたっぷりと味わわせてくれるのだ。

本作は、ラブドールを愛した男の悲喜劇と、とりあえずは要約することができるだろう。ラブドールという、誰もがなんとなく知っているが、実際にそれに触れることはあまりなく、話題にすることも避ける存在。そのラブドールについて、刺激的かつ必要十分な蘊蓄(うんちく)が傾けられる。その意味で、これは実によくできた情報小説である。

だが、辻原の巧みな筆は、この世のありとあらゆる事象に触手を伸ばす。カフェに酒、オカルト現象にアダルトビデオ、住宅事情に鉄道、映画の字幕に覚醒剤の使用法。それらが登場人物の行動を説明する必須のアイテムとして生き生きと描かれるのだ。その意味で、バルザックから谷崎潤一郎や丸谷才一に至る文学的系譜として、「風俗小説」のこの上なく見事な達成でもある。

しかし、そのきらめくトリビアの底に潜むのは、生(人間)を探求するより、死(人形)と親しむことに執着する欲望の普遍性である。

人形を愛することには、どこか死と戯れる危うさがある。主人公・矢野聡(あきら)は自分の愛するラブドールに小春と名づけるが、小春とは近松門左衛門の「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」のヒロインの名前である。つまり、そこにはすでに人形と死の親近性が匂わされている。聡と彼をとり巻く女たちは作中で頻繁に橋を渡るが、これは近松の「橋づくし」と同じ趣向だといえよう。

ラブドールと聡と2人のおんな。この複雑微妙な恋の駆けひきがたどる奇想天外な顚末(てんまつ)は、よほどうるさい小説ファンをも唸(うな)らせるだろう。

ライオネル・ホワイト著、矢口誠訳『気狂いピエロ』(新潮文庫)

『気狂いピエロ』 ライオネル・ホワイト著、矢口誠訳(新潮文庫・693円)

ゴダール監督の映画「気狂いピエロ」の原作が60年経(た)って初邦訳された。本当に巧(うま)い犯罪小説なのだ。魔性の女、現金強奪、逃避行。それらの主題が一部の隙もなく結合し、読者を人間の暗い淵へと引きずりこむ。ノワール(暗黒)と呼ばれるジャンルならではの醍醐味(だいごみ)だ。映画評論家の山田宏一の名解説が錦上に花を添えている。

ちゅうじょう・しょうへい〉 昭和29年、神奈川県生まれ。パリ大学博士。著書に『反=近代文学史』『恋愛書簡術』、翻訳にジッド『狭き門』など多数。


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