奥行きと艶のある中低音の響き…。中森明菜の作品の中で「最も本領を発揮した」と言われたのが「難破船」、そして「AL―MAUJ(アルマージ)」を歌った1987~88年だった。
「明菜の表現力は天才的でしたからね。そういった意味では『難破船』は、情念を出し切って歌った明菜の最高傑作でしたね」
ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)で明菜の制作担当ディレクターだった藤倉克己(現フリー音楽プロデューサー)はそう振り返る。
情報音楽番組「ザ・ベストテン」(TBS系)で「難破船」は87年10月22日放送から5週間連続で1位を獲得した。当時、同番組のディレクターだった斎藤薫(現フリー番組プロデューサー)は「番組の担当替えで移ったのですが、その最初の曲が『難破船』だったのです。確か3位に初登場したときでした」とした上で、こんなエピソードを語ってくれた。
「明菜さんと初めて仕事をしたのは、平日夕方のバラエティー『アップルシティ500』を担当していた82年で、ちょうど『少女A』がブレークするかしないかの時でした。それからというもの、明菜さんの急成長ぶりは破竹の勢いでしたね。わずか5年足らずで80年代を代表するビッグアーティストにのぼり詰めたのですから、目を見張るものがありました。それだけに『ザ・ベストテン』でも異例の扱いだったのです。音楽番組というよりも情報番組的な考えをしていたのですが、特に『難破船』は毎回、放送していたGスタジオとは別のスタジオにセットを組んでの放送となりましたね」
スタジオのオーケストラセット前で歌う通常のスタイルは明菜の歌う「難破船」には合わなかったというのである。