(セ・リーグ、中日1x-0阪神=延長十回、6回戦、中日4勝2敗、6日、バンテリンD)「やばいですよ」
隣の席に座っているトラ番キャップ長友孝輔が、阪神の攻撃が終わるたびに声をかけてきた。
そんなこと、言われなくても分かっている。記者席にいる人間が、どうにかできるはずもない。
誰か、代打に送っても、この日の大野雄大は、とても打てそうにないし…。
ふと、追い詰められたムード満点の阪神ベンチがテレビ画面に映った。一人のコーチの顔を発見した。
「そうや! 代打・久慈や! 久慈しかないぞ、このピンチは」
長友は呆気に取られていた。
弱い、とてつもなく弱い阪神を担当しながら、なぜか、あの暗黒時代の80年代後半から90年代にかけて、阪神は完全試合どころか、ノーヒットノーランを一度も食らっていない。
なぜか? 久慈選手がいたから。これ、ホントの話。郭源治(中日)にノーヒットに抑えられながら、九回1死からヒットを放ったのが久慈だった。チェコ(広島)から九回2死で起死回生の二塁打を放ったのも久慈だった。早いイニングの久慈の安打だけで負けた試合、久慈の2安打だけで負けた試合もあった。