小林繁伝

トラも政権交代、現場もフロントも心機一転 虎番疾風録其の四(42)

産経ニュース
サンケイスポーツの評論家時代、阪神の金田監督(右)にインタビューする吉田義男=昭和47年12月
サンケイスポーツの評論家時代、阪神の金田監督(右)にインタビューする吉田義男=昭和47年12月

川上監督から長嶋への〝政権交代〟はメッツとの「日米親善野球」が終わってから正式発表されることになった。

昭和49年オフは巨人だけでなく多くの球団の監督が交代した。5位の大洋は宮崎剛監督から秋山登へ。パ・リーグ4位の太平洋は大洋から交換トレードで移籍した江藤慎一が選手兼で監督に就任。3年連続最下位に終わった広島は森永勝也監督からJ・ルーツが監督に就任した。そして阪神―。

57勝64敗9分けの4位。Bクラスに転落した金田正泰監督は10月12日、「辞任」を申し出た。

「身を引けば済むことではないかもしれない。だが、今季の不振の責任は辞めることでとる以外にない。これが人間の社会です」

江夏という〝火種〟を抱えたまま阪神が勝てるわけがなかった。シーズン途中で田淵や藤田平ら主力選手と江夏との「不仲」が再び噴き出し、小山投手コーチとの「確執」も発覚した。マスコミは今度も何も手を下そうとしない戸沢球団社長の責任を追及した。

昭和31年から19年間、戸沢は球団代表や社長を務めてきた。次第に経営にも積極性がなくなっていたという。こんなことがあった。

49年のシーズン前から金田監督は「もう一人、外国人選手を取ってほしい」と何度も訴え続けていた。戸沢社長も同意し獲得に乗り出した。ところが、前半戦、チームが快進撃をみせるや「これなら要らんやろ」と獲得交渉を途中で打ち切ってしまったのだ。

後半戦、藤田平の負傷欠場でチーム力が低下。首位から一気に転落した。あのまま外国人選手を獲得していれば、こんな惨めな結果にならなかったかもしれない。監督や選手たちは社長の熱意のなさにあきれたという。

金田監督の後任には当時、サンケイスポーツの評論家を務めていた吉田義男が就任した。

「チームワークで勝利を呼ぶようなチームにしたい。そのためには監督、コーチが一致団結して選手の指導に当たります。選手に対しては、それが大エース、大スターであろうとも絶対に妥協はしません」と吉田は言い切った。

そして戸沢社長に代わって長田睦夫が球団社長に就任したのである。(敬称略)

■小林繁伝43

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