デビュー(1962年)から今年でちょうど60年。解散して半世紀以上過ぎてもなお、世界中に多くのファンを持つ音楽グループ「ザ・ビートルズ」。彼らの音楽や書籍、さまざまなグッズを集めた「ビートルズ文化博物館」が、「忠臣蔵」ゆかりの兵庫県赤穂市にある。博物館のあるじ、岡本備さんはしばしば「日本一のビートルズ収集家」と評されるが、自身いわく「私はコレクターではなくエバンジェリスト(伝道者)」という。
忠臣蔵ゆかりの地に博物館
播州赤穂藩主・浅野家の菩提(ぼだい)寺、花岳寺の門前にたたずむこぢんまりとした建物。中に入ると、レコードに本、ポスター、オブジェに人形、映像…。ありとあらゆるビートルズが詰め込まれていた。コレクションは2万点を超え、このうち約300点を展示している。
平成28年5月の開館以来、全国各地からビートルズマニアの「巡礼」が途絶えることはない。そして訪れたファンたちは、コレクションの物量と館長の熱量に圧倒されるのだ。
「コレクターと呼ばれるのは本意ではありません。ビートルズを『文化』として残し、伝えたいと思っているので、そのツールとして必要にかられて集めているんです」
それゆえ、施設の名称にあえて「文化」を加えたのだという。
とはいえ館内は、お宝の山。世界初のビートルズCDとして日本で発売されながら、その後回収された幻の「アビイ・ロード」や、VHDフォーマットで発売された映画「レット・イット・ビー」といった、ほとんど目にすることのない逸品がそろう。民放の人気鑑定番組で、専門家に「すごい」と言わしめたほどだ。
「あるとき、欲しかった海賊盤のEPが10万円で売り出されていたんですが、高額なのでいったんは店を出たものの諦めきれず、戻ってみたらもう売れてありませんでした。このとき、『買いたいときには無理してでも買え、チャンスは二度ない』と心に刻んだんです」
英国のレコード店で、一点物だったジョン・レノンのろうそく人形に目が留まり、「売りものじゃない」と断る店主に必死で頼み込み、ゲットしたことも。間違いなくコレクターとしても熱い情熱の持ち主なのだが、エバンジェリストとして何を伝えたいのか。
「ビートルズは音楽や言動で、若者に価値の転換をもたらし、世界に『愛・自由・平和』を教えてくれました」
彼らの偉業は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産の考慮基準「人類の創造的才能の傑作としての卓越した価値」に値すると考え、ビートルズの文化遺産登録に向けた活動にも取り組んでいる。
ビートルズのことをよく知りたいというファンにお勧めの一曲は何ですか?
「『トゥモロー・ネバー・ノウズ』はどうでしょうか。ジャンル分けしづらい不思議な音楽、単純なワードの繰り返しとキーになる言葉のセンス。彼らの幅広さが感じられるのでは」
2度目の渡英「ビートルズがいる」
イントロのギター音(とピアノの組み合わせだそうだ)が鮮烈なビートルズナンバー「ア・ハード・デイズ・ナイト」。兵庫県赤穂市でビートルズ文化博物館を主宰し、ビートルズの国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産登録を目指して「伝道」活動を続ける岡本備さん。始まりはこの一発だった。
「中学2年の秋でした。それまでは、母親の影響で生まれる前からクラシック漬けだったんですが、このイントロを耳にして涙があふれた。『この感動を誰かに伝えなきゃ』と思ったんです。今思うと片田舎の少年がそう考えるまでもなく、もう世界中に大勢のファンがいたんですけどね」
中学に入り、クラシックレコードを毎月1枚買ってもらうようになった。レコード店員があるとき、たまたま「映画音楽」として、ビートルズの初主演映画「ハード・デイズ・ナイト(当時の邦題は「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」)」のサウンドトラックだったアルバムを勧めたのだった。
衝撃はA面の1曲目。この時、エバンジェリスト(伝道者)の自覚が芽生えた岡本さんの頭の中には今もこのイントロが鳴り響き続けている。
社会を揺るがす大騒動となった「ビートルズ来日」は、高校1年の時。ご多分に漏れず学校からは「コンサートに行くと退学」と警告されたが、そんなことはお構いなしだった。
「チケットが当たるキャンペーンに応募するため、歯磨き粉を山ほど買いあさりましたよ。幸運なことに2枚ゲットできたんです」
ただ、当時は何日間も東京に滞在できる余裕などなく、夜行を使ってほぼ日帰り状態で6月30日の公演を満喫。手元に残った7月2日のチケットは、もちろん貴重なコレクションとしてビートルズ文化博物館に飾られている。
「ビートルズの来日公演で『変わった』といわれるけれど、あれで変わったのは大人たち。若者は来日前からすでに変わっていた」
実は、武道館のステージと客席よりももっとビートルズの4人に近づいた瞬間があった。昭和44年1月、自身2度目の渡英時、ビートルズが設立した「アップル」を訪れた際、応対してくれた人に「ビートルズに会いたい」という思いを身ぶりを交えて伝えた。
「何と、中に入れてもらえたんです。しばらくソファに座っていると、どこからかギターやキーボードの音が聞こえてきた。『ビートルズがいる!』。興奮よりも緊張のひと時でした」
ビートルズは翌年、解散を迎える。「半分はショックで、あとの半分は『彼らが遺(のこ)したものを伝えなければ』という思いを強くしたんです」
もう一度、激しく打ちのめされた出来事があった。昭和55年、ジョン・レノンがニューヨークで射殺されたときだ。東京で、広告代理店勤務を経て会社を設立し、デザイナーとして活躍していた。「納品先で『ジョンが撃たれたぞ』と知らされて頭が真っ白になり、その後は銀座の街をただ歩き回っていました」
落ち込んだとき、つらいときにお勧めのビートルズナンバーは何ですか?
「『レット・イット・ビー』はどうでしょうか。この旋律と『なすがままに』という言葉に私自身、何度も助けられました」
彼らの音楽の根本は「LOVE」
レコードジャケットからゆっくりとレコード盤を取り出す。スプレーを吹き付け、ブラシで丁寧にほこりなどを取り除く。レコード盤をターンテーブルに載せ、そっと針を落とす…。
今では懐かしいこんな「儀式」を経て、館内にアナログレコードのビートルズナンバーが鳴り響く。ビートルズ文化博物館では毎週土・日曜の午後、アナログレコードを聴く時間を設けている。リクエストに応え、アルバム1枚を楽しんでもらう趣向だ。
「ビートルズはアナログレコード時代のアーティスト。レコードの録音・再生技術の発展に貢献したともいわれる存在ですから、彼らの楽曲はぜひアナログレコードで楽しんでほしいんです」
もちろん、単なるレコードコンサートでは終わらない。曲の紹介をはじめ、アルバム制作の裏話やジャケットデザインの魅力など、岡本備館長の解説が延々と続く。ファンたちはそのエピソードに興味深く耳を傾けるのだ。
館内の展示は、収集したコレクションだけではない。デザイナーとしてのスキルを発揮して自ら大型のアートポスターを作り、ショーケースの中に掲示。それもテーマを決めて一度に6枚を制作し、随時更新している。ショーケースの中のグッズも、その時々のテーマに合わせてセレクト。ビートルズに対する自身の思いやエピソード、社会に与えた影響などをそれぞれのポスターに満載しているのだ。だから、ファンは何度訪れても飽きないのだという。
これまでに制作したポスターは120枚以上。これらを一つの大型本として書籍化するのが、今の大きな目標だ。この本と、自身が制作したビートルズの楽曲と歌詞と訳詞に、岡本さんの解説を加えた映像化作品を収録したDVDなどを組み合わせたセットを試作し、「ビートルズ叡智(えいち)図譜大全」と命名。「1セットは館内に置いて来館者の閲覧用に、もう1セットは英国政府へ贈り、夢であるビートルズの無形文化遺産登録をユネスコ(国連教育科学文化機関)に申請する資料にしてほしいんです」
通常、私設の記念館や資料館などは主宰者が亡くなれば終わってしまうケースが多いが、「これを作っておけばいつか自分がいなくなっても、ここを存続させることができるんじゃないかな」と思いを託す。
夢はまだある。ビートルズ文化博物館は「サロン・ド・グラス・オニオン」という別名を持つ。ビートルズの2枚組みアルバム「ザ・ビートルズ」(通称ホワイトアルバム)の一曲からの命名だ。
「この施設が、コレクションを見に来てもらうだけでなく、ここから何か文化を発信できるようなコワーキングスペースとして活用してもらえるようになったらいいな、と思うんです。『ガラスの玉ねぎ』を通したらどんな世界が見えるか、考えながら…」
現実の世界は、ロシアのウクライナ侵攻に心を痛めている現在、聴いておきたいビートルズナンバーは何ですか?
「やはり、『愛こそはすべて(オール・ユー・ニード・イズ・ラブ)』ですよね。現下の情勢は、愛が最も必要なんです。彼らの音楽の根本は『LOVE』なのですから」
(聞き手 神戸総局・小林宏之)
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おかもと・そなう 昭和25年生まれ。兵庫県赤穂市出身。地元の高校を卒業後、デザインの専門学校を経て東京で広告代理店のデザイナーに。その後、自ら会社を設立する一方、ビートルズに関する講演や展示会などを精力的に展開した。デビュー50周年(平成24年)を記念して、「ビートルズ・ラブ・ワークス」を22年に自費出版。赤穂へ帰郷後、28年にビートルズ文化博物館を開館した。