ソ連脅威論が高まっていた頃、日本では「白旗と赤旗を掲げてソ連に降伏するしかない」との主張が一定の支持を得ていた。降伏の後に待つのは「圧政と虐殺」であることに想像力が働かなかった。
前回振り返った「関・森嶋論争」から少したった頃、著名な憲法学者が学会のシンポジウムで「半分は冗談ながら」と断りながら、次のように発言した。
「仮に、どこかの国が大軍をわが国に差し向けてきたとしても、その軍隊のメンバーが、日本の自由で積極的な創造作業によって、文化の花咲くありさまを見て、日本の文化に尊敬の念を抱き、ここから学んで帰るものが多いと思うほどになったとすれば、あたかも国費留学生を送りこんできたような結果となるかもしれない。…要は占領軍を文化の虜(とりこ)にし、文化の波に浸らせるような、誇りうる文化を平時から積み重ねておくことこそが、潜水艦や飛行機やミサイルなどを整えるよりほかに、決定的に重要な意味をもつものではなかろうかいうことです」(『ジュリスト』1982年2月1日号)。
東大法学部の小林直樹教授の発言だ。今はウクライナで、かつては満州や樺太・千島列島で住民に虐殺や性的暴行、略奪を行う(行った)ロシア兵(ソ連兵)を、北海道侵攻の際に国費留学生のように迎えるべきであり、防衛努力は必要ないというのだ。これは少なからず共有されていた当時の知識人の認識だったが、現在も大きくは変わっていない。