ある小人数の劇団で、団員のほとんど全員が、しかも男女とも恋に落ちた女優、それが本書のタイトルにもなった「ヒカリ」である。彼女が劇団を去ったあと、主宰の演出家も死亡して、劇団は解散した。その演出家の遺作の戯曲は、彼の自宅に招待されて久方ぶりに顔を合わせた元団員たちが、ヒカリについてしゃべる内容だった。
本書はその戯曲を冒頭に据えて、元劇団員が1人ずつヒカリを回想した文章をまとめた私家版の文集、という見立てになっている。当のヒカリ本人は劇団を去ったあと、2年前にアジアらしい外国で撮られた写真をフェイスブックにアップしたきり、音沙汰はない。
不在のヒロインをめぐるテキスト群という設定が、とても面白い。話題の人物ヒカリとは、どのような女性だったのか。積極的なレズビアンの女性から、劇団を代表する二枚目俳優など、女性3名、男性3名と、ヒカリはそれぞれ短期間ながら時期をずらして付き合っていた。いずれも彼女の魅力的な笑顔に惹(ひ)かれて依存するように恋愛感情を募らせてしまうのだが、やがてヒカリから別れを告げられることになった。
乱脈とも見える関係性から、たとえばカルメンのような移り気な恋多き女、というイメージを抱いてしまうが、元劇団員たちの手記が異口同音に伝えるのは、どこまでも相手に尽くす受け身の心優しさだ。それがステディーな恋愛関係になると、相手に見合う愛情を自分が持てないことを自覚して身を退いてしまうのだ。結局のところヒカリは最も孤独な人物のように思えてくる。
寡作で知られる著者は、これまで長いスパンで愛とセクシャリティの多様性と困難を探求する作品を世に送ってきた。その延長に本書を置くと、新たな問いが見えてくる。
どこまでも相手のために尽くすヒカリの愛はほとんど博愛に近い。寂しげに去っていったヒカリの微笑の残像には、彼女の広く深い愛と、恋愛というエゴとの痛切な相克が浮かび上がる。近代小説はずっと恋愛至上主義であったが、その向こうに広がるさらに大きな愛の可能性を、この「文集」は胚胎しているのではなかろうか。
評・清水良典(文芸評論家)