松本清張はこの作品も悪戦苦闘した。1958年から雑誌「太陽」で始まった連載も、掲載誌が休刊してしまう。
当時「宝石」の編集長だった江戸川乱歩は清張に連絡し、「宝石」に続きを連載することになった。タイトルも「零の焦点」に変えた。ところが清張は取材する時間がなく筆が進まず、たちまち休載に。そして時間稼ぎに乱歩と清張の対談や創作ノートなどでお茶を濁す始末。乱歩も「作者もつらいが編集者もつらい。今は両者とも無言」と編集後記に泣き言を書いたほど。
その間「宝石」では鮎川哲也が「黒い白鳥」という推理小説を連載。すると編集部はストーリーが「ゼロの焦点」と似ていることに気づいた。そこでプロットを変える話し合いが持たれた。
結局、「黒い白鳥」が59年の12月号で完結すると、後を追うように本作も1カ月遅れで完結した。その間、単行本の刊行を予定していた光文社は宝石編集部の頭越しに直接清張の尻をたたいたというから、どちらも必死だったわけだ。
山村正夫の「続・推理文壇戦後史」(双葉社刊)によれば、当時上石神井に住んでいた清張が近所の食堂で、立川の米軍基地の軍人の相手をするとおぼしき女性に出会い、彼女はその後どう生きてゆくのかと疑問に思ったことがアイデアのきっかけだったという。