17歳未亡人のための名庭園 江戸期の姿でよみがえる

産経ニュース
宝隆院庭園から仁風閣を望む。白亜の建物が美しい
宝隆院庭園から仁風閣を望む。白亜の建物が美しい

国史跡・鳥取城跡の中にある「宝隆院(ほうりゅういん)庭園」の大規模修理が終わり、作庭当時の江戸時代の姿がよみがえった。庭園内からは、明治時代の洋風建築で国重要文化財「仁風(じんぷう)閣」、戦国から江戸末期まで段階的に整備された豪壮な石垣を借景に、時代を超えた景観が広がる。城跡は30年計画で整備復元が進み、仁風閣は2年後からの解体修理が視野に入る。鳥取の中心市街地の歴史ゾーンといえる一帯の「進化」はなお進む。

拝礼石から三階櫓望む

「鳥取藩の11代藩主、池田慶栄(よしたか)の妻だった宝隆院は、この拝礼石の上に立って鳥取城の三階櫓(さんがいやぐら)を見たといいます」

鳥取市文化財課課長補佐の佐々木孝文さんは、直径1メートル近くもある飛び石のひとつを指さしながらそう説明した。今回の修理で庭の樹木を伐採、剪定(せんてい)したことにより、城下を一望した鳥取城のシンボル・三階櫓の石垣は、よりはっきりと見えるようになった。

宝隆院は夫の慶栄が死亡したあとの院号で、慶栄存命のときは整子(さだこ)という名だった。庭園は、慶栄の後を継いだ12代藩主・慶徳(よしのり)が義母にあたる宝隆院を慰めようと造った、大名庭園の流れをくむ池泉(ちせん)回遊式庭園だ。

この庭園が造営された文久3(1863)年ごろの鳥取藩は、江戸時代初めから続いた池田家の血筋が途絶え、御家存続に頭を悩ませていた。10代慶行(よしゆき)が早世し、慶栄は幕府の提案で加賀・前田家から養子として迎えられた。一方の整子は池田家の分家で生まれ、慶行の養女となった女性だった。

宝隆院庭園内の拝礼石に立って見る仁風閣と石垣。宝隆院はここから三階櫓を見上げたという

しかし、慶栄は鳥取へお国入りする途上、17歳で急逝。整子も同じ17歳で未亡人となった。この後、鳥取藩は水戸徳川家の徳川斉昭の五男・五郎麿(慶徳)を迎え、明治を迎えることになる。

「規模は小さいがよくできた庭」(佐々木さん)という宝隆院庭園は、約350平方メートルの広さの池に、長寿のシンボルとされる鶴と亀をかたどった島を設け、周りに樹木を植栽している。明治以降は一時期を除き池田家の敷地だったが、昭和19年に鳥取城跡全体が鳥取市へ寄贈された。一時は荒廃が進みうっそうとした林となっていたが、同46年から翌年にかけて本格的に整備された。

しかし近年は、経年劣化による浸食や、イノシシによる掘り返しで池の護岸が著しく損傷。このため今年、50年ぶりに大掛かりに修理することになった。今回の修理ではこのほか、池の浚渫(しゅんせつ)や石の据え直し、約150本の樹木の剪定や伐採を実施。これにより市の名勝に指定されている庭園全体約2700平方メートルがかつての姿によみがえった。

正面側から見た仁風閣

取り壊し寸前だった「仁風閣」

宝隆院庭園はもともと、宝隆院が暮らした扇御殿に付随した庭だった。扇御殿は明治12(1879)年に取り壊され、その跡地に建てられたのが仁風閣だ。フレンチルネサンス様式の木造2階建て、延べ床面積1046平方メートル。謁見所、御座所など建築当初の部屋名をそのまま残した約20室があるほか、らせん階段の塔屋を備えている。

明治40(1907)年に池田家当主だった池田仲博が別邸として建築し、同年には当時皇太子だった大正天皇の山陰行啓の際の宿舎として利用された。名称は随行した海軍大将の東郷平八郎がつけたもので、儒教の5つの徳目「仁義礼智信」の「仁」と、扇御殿にちなんだ「風」から命名されたという。迎賓館赤坂離宮や京都国立博物館などを手掛けた建築家、片山東熊(とうくま)が設計した。

宿舎として利用された後、昭和48年に重文指定を受けるまでさまざまに利用され、数奇な運命をたどっている。佐々木さんは「池田家は壊して建て直す予定だったが、結局壊せなくなったようだ」と言う。池田家の所有を離れたあとは、国や県の機関・部署が入ったり、洋式宴会場として使われたりした。さらに、文化財指定の直前までは県立科学博物館として市民に親しまれた。

「仁風閣物語」(秋山英治著)によると、この間、何度か存続について論議されたようで、「再三取り壊しの危機に瀕している。(中略)とくに市民会館新設の際には市議会で、一票の差で存続が決まったというきわどいありさまであった」という。

100年を超える歴史の中で随時、補修が重ねられてきたが、煙突の雨漏りやベランダの腐食などのため、所有者の鳥取市は令和6年度から4年計画で本格的な補修計画を打ち出した。そのために今年度から外壁や屋根を解体し組み直す本格的な修理に向けた調査を行う。

鳥取城跡の二ノ丸付近から仁風閣と宝隆院庭園(左)を望む

30年計画の鳥取城跡整備

一方、鳥取城跡は平成18年度から30年計画で整備が進んでいる。石垣はそれ以前から修復が進められておりともに長期の取り組み。計画では、三階櫓再建にも言及している。

同30年10月には木造の「擬宝珠(ぎぼし)橋」が新設され、令和2年度にはこの橋に接続する中ノ御門表門(大手門)が146年ぶりに復元された。城跡、仁風閣と今後も整備が続けられ、宝隆院庭園も今回見つかった水路の復元や、池にかかる土橋の修理が行われる予定だ。

佐々木さんは「鳥取市中心部には城下町の町割りが残っており、その中心が鳥取城跡。整備復元により、住民に鳥取の歴史を知ってもらい、誇りをもってほしい」と話している。(松田則章)

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