私たちは、とても小さな村に避難した。キエフから列車で行った。
夜、真っ暗な中、全く明かりをつけずに列車で移動した。駅では空襲があったため数時間防空壕(ぼうくうごう)にいた。
長い間眠れなかったので、息子のセウェリン(8)は防空壕の中で私の膝に頭をのせて眠った。
今は国の中心から遠くないところにいる。ここでも空襲サイレンが鳴っているが、キエフほどの砲撃はない。
ここには他の避難民の家族もいるし、セウェリンの友達もいる。
ロシアは理由もなく民間人を殺害しているから、私の日記が掲載されたからといって、私が殺されるかもしれないというリスクは変わらない。それどころか、ロシアが民間人に対して行っている戦争犯罪の数々を世界に示すことのほうが重要だ。
私が望むのは、キエフに戻って、破壊された都市の再建を始めることだけ。
応援ありがとう。どうぞご安心ください。
ユーリア・クリメンコ=IT会社勤務。夫と息子、両親と暮らす。大学で日本語を専攻、留学経験もある。34歳。
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筆者とは数日間、連絡が途絶えていましたが、16日深夜に担当記者にメールが届きました。今回はそのメールの内容を一部加筆・修正して掲載しています。
ウクライナ 戦禍の街で