関連死を含めた死者と行方不明者数が1808人(2月末現在)を数え、岩手県内で最大の被害を受けた陸前高田市は、早朝から鎮魂の祈りに包まれた。
国の追悼施設や東日本大震災津波伝承館、「奇跡の一本松」がある高田松原津波復興祈念公園には日の出から犠牲者の冥福を祈る人々の姿があった。午前6時、防波堤上で合掌していたのは茨城県古河市の父娘。
72歳の父親は「日の出時刻に通りがかり(震災から)11年目だし、手を合わせようということになった。空き地も多く復興はまだまだなのかなあ」と表情を曇らせた。
海岸線で合掌した神奈川県秦野市の会社員、清水誉介さん(40)は「津波の光景が強烈で、被災地の今を知りたくて来ました。震災後に2人の子供にも恵まれ、生かされているという感覚になった」と話す。
午前9時すぎ、震災で妻を亡くした戸羽太市長(57)が「神聖な場所」という防波堤上の献花台前で冥福を祈った。同9時半すぎ、ボランティアで市内のがれき撤去に参加した山梨県北杜市の野口正人さん(56)とさゆりさん(56)夫妻が献花して手を合わせた。
会社員の野口さんはボランティア団体の代表理事として被災地の復興を見守ってきた。「景色が少しずつ変わり、役に立てたかと思うとうれしい。あとは経済的な活性化が出たら」と期待を口にした。
11年目の午後2時46分、防波堤上では約300人がサイレンに合わせて黙禱(もくとう)を捧げた。