東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から11日で11年を迎える。福島県双葉町ではいまだに「全町避難」が続き、町から埼玉県内に身を寄せる人たちは「双葉町埼玉自治会」を組織して避難者同士の絆を守ってきた。埼玉を「第二の故郷」と表現する会長の吉田俊秀さん(74)は「元気なうちはここに残り、コミュニティーを守っていきたい」と前を向く。
自治会は平成26年に結成された。現在、双葉町から避難してきた112世帯が参加しており、このうち約100世帯は埼玉県加須市で暮らしている。夏祭り、クリスマス会などのイベントを開催し、避難者の交流の場を設けてきた。
結成のきっかけは、加須市の旧県立騎西高に設けられていた双葉町民向けの避難所が25年末に閉鎖されたことだ。
避難所は23年3月末に開設され、一時は約1400人の町民が身を寄せていた。吉田さんによると、震災直後の避難所は、物資が届くたびに多くの人が詰めかけるなど「戦場のようだった」。避難者同士で話し合って物資を受け取る順番やトイレ掃除などのルールを決め、共同生活が円滑に進むよう工夫したという。
避難所の閉鎖後、多くの人は加須市をはじめとする埼玉県内で新たな生活をスタートさせた。ただ、「町民の絆を保つために自治会のような組織がないとだめだ」という声は根強く、吉田さんらが中心となって約130世帯からなる自治会を設立した。
吉田さんは令和2年から会長を務めており、自治会の存在によって避難者のコミュニティーが維持されてきたと自負する。「避難先につながりがないと不安になってしまう。自治会のおかげで安心していられる」。福島県内に住む親族から引っ越しを勧められても、「埼玉自治会のつながりがある」という理由でとどまる人もいるという。
吉田さんも引き続き埼玉で暮らしていくつもりだ。
「11年もいると第二の故郷のように感じる。みんなのコミュニティーを守る使命がある」
新型コロナウイルスの感染拡大後は、以前のような頻度でイベントを開くことが困難になり、吉田さんは自ら各世帯を回って自治会報を配るなどしている。
故郷である双葉町への愛情はなお深く、いまだに住民票は双葉町に置いている。新たな住民らによって作られていくであろう町の将来に対し「どんな町になるか分からないが期待している」と思いを語った。(深津響)