「いつ倒れてもいいように、パンツだけは綺麗なものにしていなさい」
母の口癖だった。
コロナ禍、突然母が倒れた。心臓発作で意識を失い、愛用の椅子から転げ落ちて。
私が集中治療室に入ったとき、母は裸で、たくさんの機器につながれ、白い布を一枚かけられただけの姿で横たわっていた。
これまで何回も入院し、その度に新しいパンツを何枚も用意する私に、母はいった。
「そんなにパンツばかり買って、わたしのお尻は一つなんだよ」
父が亡くなり、広すぎる一軒家でヘルパーさんに助けてもらいながら、一人暮らしを通した母。
私は白いだけのパンツじゃつまらないと、花柄のかわいいものも買ってみた。
しかし、母は「もったいない」と、はかずにタンスへしまい込んだ。
母が倒れたあの日、一体母はどんなパンツをはいていたのか。今となっては、知るよしもない。
わかるのは、もう二度と母に新しいパンツを買うことはない、ということ。
集中治療室の母に、花柄や未使用のパンツを全部はかせてあげたかった。そうすればきっと、母はすぐに起き上がって、こういっただろう。
「わたしのお尻は、一つなんだよ」
長谷川美雪(68) 埼玉県飯能市